今回は、石川ひとみ「右向け右」の歌詞解説、2番の詞を中心に見ていきます。
この歌は、ヤキモチやきの男とのどうしょうもない関係を綴っているのだと、分かってきます。
この歌は、ヤキモチやきの男とのどうしょうもない関係を綴っているのだと、分かってきます。
「ヤキモチだけやくだけやいて、深いわけも訊かない人よ」
困った男とお付き合いしちゃったわけですね。
しかし、ちょっと違和感が...
女性はヤキモチをやくと、すぐに言葉と態度に表しますからわかりやすいのですが、男のヤキモチは言葉と態度に表す人と、言葉にも態度にも表さない人がいます。現れ方は程度の問題、ということは言うまでもありません。
それで、女性に分かるほどヤキモチを態度に表す人は、根掘り葉掘りしつこいほど尋ねてくるのが普通ではないかな。
深いわけも訊かない男の場合は、ストレートに態度や言葉に出さないものです。
そのような彼の場合、ヤキモチというよりもプライドが傷ついているのであって、ヤキモチではないことが多い。
まだ若くて、自分に自信を持てない年代の男は、彼女が「私、郷ひろみのファンなの」などというと、すぐに比較して劣等感を感じるわけです。それで...
彼女の話に相づちをうちながら、内心は「好きにすれば...僕には乙女チックな夢を求めないでくれ」と、気持ちが屈折していく。
これは、ちょっとヤキモチとは心的構造が違うでしょうね。
ヤキモチだったら、「あんな冷たい男はダメだよ。温かいハートを持っていないと」とか言って、彼女を自分の方に向けようとするものでしょう?
「右向け右」では、才女の三浦さん、頭の中で自分ののイメージする男のヤキモチを言葉にしたのではないでしょうか。三浦徳子のヤキモチ男像ですね。
ヤキモチやきまくりの男が、深いわけを訊かないわけがない、という違和感を感じるのですが、この違和感自体が私のヤキモチイメージからくるので、どちらが正しいとかいうものではないのですけれど。
石川ひとみ 『右向け右』
それで、指輪のことが歌詞にありますので、それについてもひと言。
「小指に 空 広がっている 投げた指輪 また手にしてる」
この指輪は婚約指輪というほどの意味はなく、男女ペアルックの指輪なのでしょうが、それを外して放り投げたとき、気分がすっきりしたということですね。
しかし、未練があって、投げ捨てたはずの指輪を拾ってきて、また手にしている、と。
どうも、前半の歌詞がシビアなものですから、後半のこの歌詞はリアリティーが希薄になる。
ウソっぽい、というか学芸会的くさい芝居のようなイメージになってしまいます。
木に竹を接いだようという言葉がぴったりする、取って付けたような感じがします。
別ブログで、「エデンの東」について、書いたことがあるのですが、二人の兄弟を浮き彫りにするヒロインであるアブラという女性も、同じように指輪を投げるのですが、彼女は指輪を川に投げます。
YouTube の動画をクリックして見ていると、3000ドルの指輪を川に投げ捨てたわ。とサラリと言うシーンがあります。当時は1ドルが360円でしたから、およそ100万円の指輪を川に投げ捨てた。
「パパはものすごく怒ったわ」、とあっけらかんというアブラ。
『右向け右』の「さっさと消えればいいでしょう」という歌詞を継承するならば、このアブラのように「探しても無駄ね」とあっさり言ってしまう展開の方がしっくりくると思う。
「ヤキモチだけ、やくだけやいて、深いわけなど訊かない人」...もしそのような男であるならば、さっさと捨てるのがいいですね。
パートナーの人格を無視しています。極めて自己中で人格が未熟な人間...ようするに子どもです。
それが、イケメンのいい男だったりすると、いくらでも女をナンパできますし、不思議と「私がいないと、この人ダメになる」などという勘違い女性が現れてくるもので、死ぬまで自己中の性格は直りにくいものです。
ですから、「なぜよ、なぜなの、本気だったこころ、振り向いて」なんてやめた方がいい。
身も蓋もない言い方ですが、このような不毛な疑似恋愛をやっていると、ボロ雑巾のような中年女になってしまいます。
神経が毛羽立ってしまって、愛されない性(sex)に抵抗がなくなり、みずみずしい心が失われた女性です。世の中には、たくさんいます。
なぜそうなるかというと、手痛く捨てられて女性は鬱積した感情を吐き出し尽くす。
その後は空虚になってしまうほどですので、容易に別の「スケ込まし」とくっついてしまう危険性が大きい。
そのような女性は心が満たされず恋愛中毒みたいになりますが、感情を入れ替えれば入れ替えるほど、どうしょうもないものばかりになってしまうからですね。付き合う相手の年齢が加速度的に高くなっていきますから。
そうして若いときのみずみずしいものが、ほとんど消えてしまう。作家の辺見庸がいう「無意識のすさみ」ですね。
気がついたときにはボロ雑巾状態。いや、そうなったら、自分自身に気づくこともないのかもしれない。そしてオバタリアンが出現する。
男の場合、失恋でも失望でも挫折でも、「自分の殻に閉じこもる」ことで、時が癒してくれるに任せます。ですから、立ち直るのが大変遅いうえに昔のことを引きずっています。これは女々しいのではなく、「男性」性の特徴です。
女性は一緒になれなければ死んでやる!とか大騒ぎしますが、感情をはき出してしまえば、「あんな男に入れあげてたなんて、馬鹿みたい」などと、立ち直りが早いものです。
過去を引きずるというと悪いイメージですが、逆に言えば、糸をたぐるように以前のみずみずしい心を呼び覚ますことができるのです。
だから、男は年を重ねてもボロ雑巾のようにはならない。こころの片隅に押し殺していた「捨てたくない」気持ちがあるからです。
そういうことを考えると、「右向け右」のような男は「さっさと消えればいいでしょう」というのは、その通りとしか言えない。
しかし、三浦さん、自分のイメージする「大人の女」の歌詞を書き綴ってばかりはいられない理由があって、この辺から、石川ひとみ向けに内容を考えているのでしょうか。取って付けたような感じになってくるわけですね。
ナベプロの要望どおり「大人の女」を書いてきて、18歳の石川ひとみにはあまりにもきつい歌詞になっている、ということで起承転結の転のところで、一転して20前の女の子らしいフレーズを入れて、何とかまとめ上げた、と。
もっとおおらかな見方をすれば、口では強がっていても、その実は娘っぽい純情さを隠しきれない表現だと受け取っても良いのですが。
石川ひとみの失恋ソングの共通項は、「強がって恋を失い、後悔する女」の心情というものです。
それが、素直な見方かもしれないですけれど、それだけで収まらないものを感じるわけです。
問題なのは、そもそも18歳の新人歌手石川ひとみちゃんのデビュー曲として、シビアな歌詞の「大人の女」の歌を歌わせる、という点ですからね。
石川ひとみのデビュー曲『右向け右』は以上3回にわたって述べたようなことが歌詞に含まれているために、複雑怪奇なモードを持った歌だと評したわけです。
そのような歌を石川ひとみちゃんは、笑顔を見せながらノリノリで歌いきってしまう。
私は、歌謡曲における歌詞の地位が恐ろしく低いことに気がつき、愕然とします。
言葉なんて、あって無きがごとしだ。
歌詞はどうあれ、メロディーとリズムで押し切ってしまうことが出来る。
聴く方も、さほど歌詞に注意を払わず、ひっちゃん!と叫ぶ。
今なら、さしずめイヤフォンをつけたサル...乏しい言葉の世界の人間とか。
にもかかわらず、大ヒットする歌は、曲もさることながら歌詞が優れているわけです。
最後にものを言うのは歌詞だと...。
どうしても、最後はため息になってしまうのですが、何でこの曲がデビュー曲なの?
...という残念な気持ちは収まりません。
「右向け右」 一五一会版 歌詞解釈(4)に続く
女性はヤキモチをやくと、すぐに言葉と態度に表しますからわかりやすいのですが、男のヤキモチは言葉と態度に表す人と、言葉にも態度にも表さない人がいます。現れ方は程度の問題、ということは言うまでもありません。
それで、女性に分かるほどヤキモチを態度に表す人は、根掘り葉掘りしつこいほど尋ねてくるのが普通ではないかな。
深いわけも訊かない男の場合は、ストレートに態度や言葉に出さないものです。
そのような彼の場合、ヤキモチというよりもプライドが傷ついているのであって、ヤキモチではないことが多い。
まだ若くて、自分に自信を持てない年代の男は、彼女が「私、郷ひろみのファンなの」などというと、すぐに比較して劣等感を感じるわけです。それで...
彼女の話に相づちをうちながら、内心は「好きにすれば...僕には乙女チックな夢を求めないでくれ」と、気持ちが屈折していく。
これは、ちょっとヤキモチとは心的構造が違うでしょうね。
ヤキモチだったら、「あんな冷たい男はダメだよ。温かいハートを持っていないと」とか言って、彼女を自分の方に向けようとするものでしょう?
「右向け右」では、才女の三浦さん、頭の中で自分ののイメージする男のヤキモチを言葉にしたのではないでしょうか。三浦徳子のヤキモチ男像ですね。
ヤキモチやきまくりの男が、深いわけを訊かないわけがない、という違和感を感じるのですが、この違和感自体が私のヤキモチイメージからくるので、どちらが正しいとかいうものではないのですけれど。
石川ひとみ 『右向け右』
それで、指輪のことが歌詞にありますので、それについてもひと言。「小指に 空 広がっている 投げた指輪 また手にしてる」
この指輪は婚約指輪というほどの意味はなく、男女ペアルックの指輪なのでしょうが、それを外して放り投げたとき、気分がすっきりしたということですね。
しかし、未練があって、投げ捨てたはずの指輪を拾ってきて、また手にしている、と。
どうも、前半の歌詞がシビアなものですから、後半のこの歌詞はリアリティーが希薄になる。
ウソっぽい、というか学芸会的くさい芝居のようなイメージになってしまいます。
木に竹を接いだようという言葉がぴったりする、取って付けたような感じがします。
別ブログで、「エデンの東」について、書いたことがあるのですが、二人の兄弟を浮き彫りにするヒロインであるアブラという女性も、同じように指輪を投げるのですが、彼女は指輪を川に投げます。
YouTube の動画をクリックして見ていると、3000ドルの指輪を川に投げ捨てたわ。とサラリと言うシーンがあります。当時は1ドルが360円でしたから、およそ100万円の指輪を川に投げ捨てた。
「パパはものすごく怒ったわ」、とあっけらかんというアブラ。
『右向け右』の「さっさと消えればいいでしょう」という歌詞を継承するならば、このアブラのように「探しても無駄ね」とあっさり言ってしまう展開の方がしっくりくると思う。
「ヤキモチだけ、やくだけやいて、深いわけなど訊かない人」...もしそのような男であるならば、さっさと捨てるのがいいですね。
パートナーの人格を無視しています。極めて自己中で人格が未熟な人間...ようするに子どもです。
それが、イケメンのいい男だったりすると、いくらでも女をナンパできますし、不思議と「私がいないと、この人ダメになる」などという勘違い女性が現れてくるもので、死ぬまで自己中の性格は直りにくいものです。
ですから、「なぜよ、なぜなの、本気だったこころ、振り向いて」なんてやめた方がいい。
身も蓋もない言い方ですが、このような不毛な疑似恋愛をやっていると、ボロ雑巾のような中年女になってしまいます。
神経が毛羽立ってしまって、愛されない性(sex)に抵抗がなくなり、みずみずしい心が失われた女性です。世の中には、たくさんいます。
なぜそうなるかというと、手痛く捨てられて女性は鬱積した感情を吐き出し尽くす。
その後は空虚になってしまうほどですので、容易に別の「スケ込まし」とくっついてしまう危険性が大きい。
そのような女性は心が満たされず恋愛中毒みたいになりますが、感情を入れ替えれば入れ替えるほど、どうしょうもないものばかりになってしまうからですね。付き合う相手の年齢が加速度的に高くなっていきますから。
そうして若いときのみずみずしいものが、ほとんど消えてしまう。作家の辺見庸がいう「無意識のすさみ」ですね。
気がついたときにはボロ雑巾状態。いや、そうなったら、自分自身に気づくこともないのかもしれない。そしてオバタリアンが出現する。
男の場合、失恋でも失望でも挫折でも、「自分の殻に閉じこもる」ことで、時が癒してくれるに任せます。ですから、立ち直るのが大変遅いうえに昔のことを引きずっています。これは女々しいのではなく、「男性」性の特徴です。
女性は一緒になれなければ死んでやる!とか大騒ぎしますが、感情をはき出してしまえば、「あんな男に入れあげてたなんて、馬鹿みたい」などと、立ち直りが早いものです。
過去を引きずるというと悪いイメージですが、逆に言えば、糸をたぐるように以前のみずみずしい心を呼び覚ますことができるのです。
だから、男は年を重ねてもボロ雑巾のようにはならない。こころの片隅に押し殺していた「捨てたくない」気持ちがあるからです。
そういうことを考えると、「右向け右」のような男は「さっさと消えればいいでしょう」というのは、その通りとしか言えない。
しかし、三浦さん、自分のイメージする「大人の女」の歌詞を書き綴ってばかりはいられない理由があって、この辺から、石川ひとみ向けに内容を考えているのでしょうか。取って付けたような感じになってくるわけですね。
ナベプロの要望どおり「大人の女」を書いてきて、18歳の石川ひとみにはあまりにもきつい歌詞になっている、ということで起承転結の転のところで、一転して20前の女の子らしいフレーズを入れて、何とかまとめ上げた、と。
もっとおおらかな見方をすれば、口では強がっていても、その実は娘っぽい純情さを隠しきれない表現だと受け取っても良いのですが。
石川ひとみの失恋ソングの共通項は、「強がって恋を失い、後悔する女」の心情というものです。
それが、素直な見方かもしれないですけれど、それだけで収まらないものを感じるわけです。
問題なのは、そもそも18歳の新人歌手石川ひとみちゃんのデビュー曲として、シビアな歌詞の「大人の女」の歌を歌わせる、という点ですからね。
石川ひとみのデビュー曲『右向け右』は以上3回にわたって述べたようなことが歌詞に含まれているために、複雑怪奇なモードを持った歌だと評したわけです。
そのような歌を石川ひとみちゃんは、笑顔を見せながらノリノリで歌いきってしまう。
私は、歌謡曲における歌詞の地位が恐ろしく低いことに気がつき、愕然とします。
言葉なんて、あって無きがごとしだ。
歌詞はどうあれ、メロディーとリズムで押し切ってしまうことが出来る。
聴く方も、さほど歌詞に注意を払わず、ひっちゃん!と叫ぶ。
今なら、さしずめイヤフォンをつけたサル...乏しい言葉の世界の人間とか。
にもかかわらず、大ヒットする歌は、曲もさることながら歌詞が優れているわけです。
最後にものを言うのは歌詞だと...。
どうしても、最後はため息になってしまうのですが、何でこの曲がデビュー曲なの?
...という残念な気持ちは収まりません。
「右向け右」 一五一会版 歌詞解釈(4)に続く
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