アイドル歌手石川ひとみがこの可愛らしさと歌唱力を持ちながらなぜ売れなかったのか?
プロデュースの観点からは、女性作詞家が書いたシングル曲には、疑問を感じるものが少なくないなと思う。
プロデュースの観点からは、女性作詞家が書いたシングル曲には、疑問を感じるものが少なくないなと思う。
アイドル全盛時代でしたので、歌手はよりどりみどり。ファンになればLPアルバムを買うのでしょうが、それ以前の潜在的ファン層の人はまず流行っている歌のシングルレコードを買うでしょう。
それで好みが合えば、次のレコードも買い、それがやはり好みに合えば次にと続き、LPアルバムが出たりすればそれに触手を伸ばす。
曲の好みは微妙ですから、最初の1、2曲が大事です。アイドルファンは中・高校生が多いので、好き勝手にレコードを買えるわけではない。他にも魅力的なアイドル目白押しで、そっちにも目移りしますからね。
私の場合は、歌謡曲を聴いてもっとも心を揺さぶられる要素は歌手の「声」ですね。
ナベプロの松下治夫も「売れる声」というのがあるのだ、と言っていますから、重要な要素なのでしょう。
声はその音質だけでなく、歌手の人柄を反映しますし、曲や歌詞にも影響を受けますね。
次にインプレッションに大きく関わってくるのはやはりメロディーであり、歌詞で、アレンジが最後にくるというのが、私の場合の特徴です。
言葉の感覚が上位に来てしまって、「女のカン」などという通俗的で無自覚な言葉使いがあったりするとそれだけでNo, thank you. という感じになってしまう。
一般的には、メロディー、アレンジときて、歌詞などは気にしないか、ほとんど何も感じないというのが普通なのでしょう。
あっ、それで忘れていましたが、やはり歌手のビジュアルな面は特に若い人には重要性があるでしょう。
アレンジの評価が低いようですが、大村雅朗のアレンジでいい曲になっていると感じるものがあるので、決して評価が低いわけではない。けれども、メインの要素ではないでしょうね。
たとえば「ひとりぼっちのサーカス」など、すばらしいものを感じますが、谷山浩子の「サーカス」のピアノだけでもイイと思うし。
「くるみ割り人形」などは、演奏が良すぎて歌手の声を押しのけているよう感じるところもあるけどね。
ただし、歌の意味性を明確に持つのは結局歌詞であり、プロデュース問題を考える場合、やはり歌詞を手がかりに考えていくということになります。
よほどメロディーが優れているか、できが悪いとかいう場合は、売れ行きに影響を与えますので考慮に入れるわけですけれど、プロフェッショナルな仕事をしているわけですから、当たり外れの度合いはそれほど大きくない。
しかし、歌詞の場合は意味性が明確にあるために、好き嫌いを左右する要素が小さくない、と。
石川ひとみの歌でもっとも流行ったのは言うまでもなく『まちぶせ』ですから、この曲で初めて石川ひとみを知った人が圧倒的に多い。それで、ファン予備軍に対するマーケティングはどうだったのか、をちょっと見てみたい。
『まちぶせ』はアイドルの歌ではなく、「大人の女」の歌の序章だ、という位置づけが石川ひとみ陣営にはあったのだろうと思う。
それで、次の一手は難しい選択となった経緯は述べています。
結果を端的にいうなら「歌手石川ひとみはアイドルから脱皮するのに失敗した」ように思う。
ヒットする「大人の女」の歌というのは、「女よ、こうあって欲しい」という、男の願望を叶える女性像を歌ったものがほとんどです。
だから、男性作詞家の作った歌が多い。阿久悠しかり、なかにし礼しかり、松本隆もそういう曲は必ずヒットしています。
石川ひとみちゃんの場合は個性的な女性作詞家の曲が多い、というのが問題なのかな、と思う。
もちろん、プロデューサーのディレクションがその前提にはあるのですが、同じセクシー路線の歌を作っても、男性作詞家と女性作詞家ではまみれ方に違いがある。
女性作詞家が作ると、えぐいものになりがちだ、と。
下の図は、石川ひとみシングル曲の一覧です。
ヒットをしたのは『まちぶせ』、『くるみ割り人形』と女性作詞家ではないかといわれそうですが、「プロデュース」カテゴリーでは売れなかった要素をえぐり出すという切り口でやっていますので、そこを見ていただきたいということですね。

女性が女性の心情を吐露したものを、だいたい男は好まない。
どういうところを好まないのかを、私は歌詞解説でえぐって見せたわけです。
「さっさと消えればいいでしょう!」...ご、ごめん
「今夜はどんな嘘をつくの」...人聞きの悪いことを...
「嘘は罪じゃない、罪でもいいの!」...ホンとは罪じゃないわけがない...んだよねェ?
「あっ、まだよ まだよ」...???
「過ちで結ばれても女心は燃え上がる」...ひっちゃん、そんなことないよねー
「シェリーなど飲みながらあなたの膝で眠る」...ガーン!
「悲しい場面はみんな知りすぎているから」...え!知り過ぎちゃった、ってか?
「燃えるあのひとみ、素肌にまといながら」...どういうこと?教えて?
男性(おとこせい)というのは論理思考が強いですから、論理のフィルターを通してものを見、感情を整理するので感情的には単純です。
しかし、女性(おんなせい)は感覚的なものをそのまま感情に取り込みますので、いろいろ入り乱れている度合いが強い。複雑なところが、男には分からない女性感情です。
それを赤裸々に吐露されると、「ぐちゃぐちゃしていて、いちいち付き合いきれない、面倒...」という感覚を男は抱いてしまう。
それが男女のコミュニケーションの難しさという現実的な問題ですので、男が書いた「女よ、こうあって欲しい」という「大人の女」の歌に出会うと、ホッとするし、共感してしまうのでしょうね。
アイドル曲の場合は「けなげで、ひたむきな純愛」を可愛らしく歌うか、突っ張っていてもそういうものが見え隠れするという基本を外していなければ、だいたいが売れるわけです。
女性作詞家でも、そういうワンパターンで書けばよいので、あとは言葉をどう組み合わせるか、ということにしかならない。
言い換えれば、アイドルの幻想を担うことが売れるための必要条件ですね。
ファンというのはそういう幻想に酔っていたいという心理状態ですから、それに応えるものを提供することが第一でしょう。
小柳ルミ子が『瀬戸の花嫁』を自分のイメージではない、と常々言っていたことを紹介しましたが、それ担うことこそがアイドルの宿命だろう。
石川ひとみの歌を概観してみると、このような売れるための必要条件を踏み外しているものが多いなと思います。
男性作詞家は...
ひとみちゃん可愛いから、こんな風に泣かせてみたい!「鮮やかな微笑み」
こんな風に想われたい!「ハート通信」
こんな風に笑って欲しい!「ミスファイン」
こんな風に物思いにふけるとイイね!「夢番地一丁目」
こんな風に「ひとりじめ」されてもイイ!
文字通り「きみは輝いて天使に見えた!」のだ
こんな風に別れた後も想われたい!「冬のかもめ」
...と、男目線で石川ひとみの歌詞を書いているわけですから、どれもイイ!のですよ。
アベレージ・ヒッターとして、プロの仕事をしていると思う。
ところが、女性作詞家の場合は、同じ女性ですから、自分の心情的なものを歌詞の中に織り込んでしまいがちなのでしょう。それはアイドル路線としては踏み外しているのではないかなと、あえて私はえぐり出してみせたわけですけどね。
とくに「大人の女」の歌、まみれ系はそれが色濃くでているから、アイドル石川ひとみファンはついていかない、という歌も出てきてしまう。踏み外した歌が少なくないよ、と。
女性アイドルファンの男の子の気持ちは、言ってみればピーターパン・シンドロームですから。いつまでも子どもの心を持っている。
それに対して、歌手石川ひとみは、背伸びをして「大人の女」歌を歌いたがった。
石川ひとみはモデリング的感性を持っているようで、中学時代はアイドル天地真理にあこがれ、自分も歌手になろうと決心しました。
ナベプロでは先輩大原麗子のように魅力的な大人の女になりたいとか、大人の歌を歌う小柳ルミ子に影響をうけたりとかありますね。
20歳が24歳になったとしても、アイドルファンの心理は何も変わっていないのですが、女性としての石川ひとみには違いがあるのでしょう。
20歳になったら大人の女。22、3は花盛り。25歳はお肌の曲がり角だから、24歳は女の勝負時とかね、焦り始める年頃なのでしょう。
しかし、男は25、6ではまだ半人前のコドナですから。
気持ちの部分が子どもの、オトナ。
歌手、石川ひとみ、意欲をもってどんどん新しいものに挑戦したり、大人の歌を大胆に歌ったりと、努力し、あるいは無理したことが、多くのファンを置いてけぼりにしてしまったのかもしれません。
長く歌い続けていたいと考えたなら、少しづつ進化を見せていった方が良かったかな、と思う。
それで好みが合えば、次のレコードも買い、それがやはり好みに合えば次にと続き、LPアルバムが出たりすればそれに触手を伸ばす。
曲の好みは微妙ですから、最初の1、2曲が大事です。アイドルファンは中・高校生が多いので、好き勝手にレコードを買えるわけではない。他にも魅力的なアイドル目白押しで、そっちにも目移りしますからね。
私の場合は、歌謡曲を聴いてもっとも心を揺さぶられる要素は歌手の「声」ですね。
ナベプロの松下治夫も「売れる声」というのがあるのだ、と言っていますから、重要な要素なのでしょう。
声はその音質だけでなく、歌手の人柄を反映しますし、曲や歌詞にも影響を受けますね。
次にインプレッションに大きく関わってくるのはやはりメロディーであり、歌詞で、アレンジが最後にくるというのが、私の場合の特徴です。
言葉の感覚が上位に来てしまって、「女のカン」などという通俗的で無自覚な言葉使いがあったりするとそれだけでNo, thank you. という感じになってしまう。
一般的には、メロディー、アレンジときて、歌詞などは気にしないか、ほとんど何も感じないというのが普通なのでしょう。
あっ、それで忘れていましたが、やはり歌手のビジュアルな面は特に若い人には重要性があるでしょう。
アレンジの評価が低いようですが、大村雅朗のアレンジでいい曲になっていると感じるものがあるので、決して評価が低いわけではない。けれども、メインの要素ではないでしょうね。
たとえば「ひとりぼっちのサーカス」など、すばらしいものを感じますが、谷山浩子の「サーカス」のピアノだけでもイイと思うし。
「くるみ割り人形」などは、演奏が良すぎて歌手の声を押しのけているよう感じるところもあるけどね。
ただし、歌の意味性を明確に持つのは結局歌詞であり、プロデュース問題を考える場合、やはり歌詞を手がかりに考えていくということになります。
よほどメロディーが優れているか、できが悪いとかいう場合は、売れ行きに影響を与えますので考慮に入れるわけですけれど、プロフェッショナルな仕事をしているわけですから、当たり外れの度合いはそれほど大きくない。
しかし、歌詞の場合は意味性が明確にあるために、好き嫌いを左右する要素が小さくない、と。
石川ひとみの歌でもっとも流行ったのは言うまでもなく『まちぶせ』ですから、この曲で初めて石川ひとみを知った人が圧倒的に多い。それで、ファン予備軍に対するマーケティングはどうだったのか、をちょっと見てみたい。
『まちぶせ』はアイドルの歌ではなく、「大人の女」の歌の序章だ、という位置づけが石川ひとみ陣営にはあったのだろうと思う。
それで、次の一手は難しい選択となった経緯は述べています。
結果を端的にいうなら「歌手石川ひとみはアイドルから脱皮するのに失敗した」ように思う。
ヒットする「大人の女」の歌というのは、「女よ、こうあって欲しい」という、男の願望を叶える女性像を歌ったものがほとんどです。
だから、男性作詞家の作った歌が多い。阿久悠しかり、なかにし礼しかり、松本隆もそういう曲は必ずヒットしています。
石川ひとみちゃんの場合は個性的な女性作詞家の曲が多い、というのが問題なのかな、と思う。
もちろん、プロデューサーのディレクションがその前提にはあるのですが、同じセクシー路線の歌を作っても、男性作詞家と女性作詞家ではまみれ方に違いがある。
女性作詞家が作ると、えぐいものになりがちだ、と。
下の図は、石川ひとみシングル曲の一覧です。
ヒットをしたのは『まちぶせ』、『くるみ割り人形』と女性作詞家ではないかといわれそうですが、「プロデュース」カテゴリーでは売れなかった要素をえぐり出すという切り口でやっていますので、そこを見ていただきたいということですね。
女性が女性の心情を吐露したものを、だいたい男は好まない。
どういうところを好まないのかを、私は歌詞解説でえぐって見せたわけです。
「さっさと消えればいいでしょう!」...ご、ごめん
「今夜はどんな嘘をつくの」...人聞きの悪いことを...
「嘘は罪じゃない、罪でもいいの!」...ホンとは罪じゃないわけがない...んだよねェ?
「あっ、まだよ まだよ」...???
「過ちで結ばれても女心は燃え上がる」...ひっちゃん、そんなことないよねー
「シェリーなど飲みながらあなたの膝で眠る」...ガーン!
「悲しい場面はみんな知りすぎているから」...え!知り過ぎちゃった、ってか?
「燃えるあのひとみ、素肌にまといながら」...どういうこと?教えて?
男性(おとこせい)というのは論理思考が強いですから、論理のフィルターを通してものを見、感情を整理するので感情的には単純です。
しかし、女性(おんなせい)は感覚的なものをそのまま感情に取り込みますので、いろいろ入り乱れている度合いが強い。複雑なところが、男には分からない女性感情です。
それを赤裸々に吐露されると、「ぐちゃぐちゃしていて、いちいち付き合いきれない、面倒...」という感覚を男は抱いてしまう。
それが男女のコミュニケーションの難しさという現実的な問題ですので、男が書いた「女よ、こうあって欲しい」という「大人の女」の歌に出会うと、ホッとするし、共感してしまうのでしょうね。
アイドル曲の場合は「けなげで、ひたむきな純愛」を可愛らしく歌うか、突っ張っていてもそういうものが見え隠れするという基本を外していなければ、だいたいが売れるわけです。
女性作詞家でも、そういうワンパターンで書けばよいので、あとは言葉をどう組み合わせるか、ということにしかならない。
言い換えれば、アイドルの幻想を担うことが売れるための必要条件ですね。
ファンというのはそういう幻想に酔っていたいという心理状態ですから、それに応えるものを提供することが第一でしょう。
小柳ルミ子が『瀬戸の花嫁』を自分のイメージではない、と常々言っていたことを紹介しましたが、それ担うことこそがアイドルの宿命だろう。
石川ひとみの歌を概観してみると、このような売れるための必要条件を踏み外しているものが多いなと思います。
男性作詞家は...
ひとみちゃん可愛いから、こんな風に泣かせてみたい!「鮮やかな微笑み」
こんな風に想われたい!「ハート通信」
こんな風に笑って欲しい!「ミスファイン」
こんな風に物思いにふけるとイイね!「夢番地一丁目」
こんな風に「ひとりじめ」されてもイイ!
文字通り「きみは輝いて天使に見えた!」のだ
こんな風に別れた後も想われたい!「冬のかもめ」
...と、男目線で石川ひとみの歌詞を書いているわけですから、どれもイイ!のですよ。
アベレージ・ヒッターとして、プロの仕事をしていると思う。
ところが、女性作詞家の場合は、同じ女性ですから、自分の心情的なものを歌詞の中に織り込んでしまいがちなのでしょう。それはアイドル路線としては踏み外しているのではないかなと、あえて私はえぐり出してみせたわけですけどね。
とくに「大人の女」の歌、まみれ系はそれが色濃くでているから、アイドル石川ひとみファンはついていかない、という歌も出てきてしまう。踏み外した歌が少なくないよ、と。
女性アイドルファンの男の子の気持ちは、言ってみればピーターパン・シンドロームですから。いつまでも子どもの心を持っている。
それに対して、歌手石川ひとみは、背伸びをして「大人の女」歌を歌いたがった。
石川ひとみはモデリング的感性を持っているようで、中学時代はアイドル天地真理にあこがれ、自分も歌手になろうと決心しました。
ナベプロでは先輩大原麗子のように魅力的な大人の女になりたいとか、大人の歌を歌う小柳ルミ子に影響をうけたりとかありますね。
20歳が24歳になったとしても、アイドルファンの心理は何も変わっていないのですが、女性としての石川ひとみには違いがあるのでしょう。
20歳になったら大人の女。22、3は花盛り。25歳はお肌の曲がり角だから、24歳は女の勝負時とかね、焦り始める年頃なのでしょう。
しかし、男は25、6ではまだ半人前のコドナですから。
気持ちの部分が子どもの、オトナ。
歌手、石川ひとみ、意欲をもってどんどん新しいものに挑戦したり、大人の歌を大胆に歌ったりと、努力し、あるいは無理したことが、多くのファンを置いてけぼりにしてしまったのかもしれません。
長く歌い続けていたいと考えたなら、少しづつ進化を見せていった方が良かったかな、と思う。
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