いつものように儀式的にコーヒーをいれていて、石川ひとみ『秘密の森』の表象するものが突然分かりました。といっても、私の解釈の一つでしかないのですが。
石川ひとみが抱えているもやもやとした考えてもしょうがない(と感じる)悩み、じつは多くの歌手や俳優さんが抱く関所のようなものかと思います。
石川ひとみが抱えているもやもやとした考えてもしょうがない(と感じる)悩み、じつは多くの歌手や俳優さんが抱く関所のようなものかと思います。
つい先日も、ある女優さんが、ほとんど同じような経験を話しているのをテレビで見ました。
ひとことで言えば「自分らしさとの相克」なのですが、心理学的にみると仮面「ペルソナ」の問題に引っかかりを感じているわけです。
思春期に意識されてくるペルソナの問題ですが、一般的には、
・社会人になることにより世の中の仕組みが次第に分かってくるようになり、
・複雑な人間関係における社会的役割の意味を理解して、
・それに求められる仮面をつける(役割を担う)ことが、大人になるための大前提である、
...というプロセスを踏まえた理解と受容が進行します。
その上で、その場その場で求められる(必要とする)役割にふさわしい仮面を自分流に身につけるすべに習熟することに価値を見いだし、努力するようになります。
ところが、歌手や俳優とりわけアイドルの場合は、ティーンエイジャーから一気に「イメージがその人本人の実体よりも重要な世界」に飛び込んでしまうわけです。
それで右も左も分からないまま、全国各地をプロモーション活動に飛び回り、ふと気づく頃には20歳過ぎの大人の年齢になっている。
それでも売れているときはいいのですが、売れなくなってくると「もはやアイドルではあり得ない、年齢相応の大人の歌を歌いたい」ということになった場合、問題がどっと出てくるのだと思う。
大人としての自分らしさって何か?と。
アイドルというのはみんな人一倍かわいらしいので、引く手あまた。
みんな早いうちに結婚して引退してしまいます。
そうしなかった石川ひとみのようなケースでは、この問題に大なり小なり悩むことになるのでしょう。

上は1986年8月のナベプロ女性タレントのスケジュール表です。
アグネス・チャン、アン・ルイス、小柳ルミ子が3枚看板で、売り出しにもっとも力を入れているのが河合その子ですね。86年、87年はだいたいこのようなものです。
ひっちゃん、悩む時間が多すぎたのではないかな。
このスケジュールはつらいよね。
「アモーレ」の大変身の時でも、それまでやってきたスタイルをやめる決意をしたかと思うけど、あのときは多分『メモリー』を歌ってみて、ダメだったらイメチェンしようとワンクッション置いたのだと思う。
よい子のまま大人になってしまった石川ひとみ、歌手としては望むと望まぬとにかかわらずアイドルとしてのペルソナを担い、それに伴い余儀なくされる習慣的行動を「アイドル苦」と感じるものがある。
顧みて、もう少し自然に笑えばいいのに、とか...
それで、石川ひとみちゃんの場合、ペルソナの問題に続いて、シャドーの問題に当面しているように感じられますね。
人間性の中に潜んでいる好ましからぬ影の部分(シャドー)、これを見据え、解体し、超克していくことは人格的に成熟していくための最大の課題とされています。
一般的にペルソナは青年期・思春期の問題、シャドーは成熟期の課題とされますが、子ども世界から一気に大人世界に飛び込んで否応なしのペルソナを担い、あっという間に5年たち10年たちというところに来てしまった結果だと思う。
それで、人が成熟していくためには何が必要であるのか、その答えが石川ひとみの場合「秘密の森」
だった。
では、石川ひとみにとって「秘密の森」はどういう意味があったのか、もっと深い意味とは何だったのかということになってきます。
ひとことで言えば「自分らしさとの相克」なのですが、心理学的にみると仮面「ペルソナ」の問題に引っかかりを感じているわけです。
思春期に意識されてくるペルソナの問題ですが、一般的には、
・社会人になることにより世の中の仕組みが次第に分かってくるようになり、
・複雑な人間関係における社会的役割の意味を理解して、
・それに求められる仮面をつける(役割を担う)ことが、大人になるための大前提である、
...というプロセスを踏まえた理解と受容が進行します。
その上で、その場その場で求められる(必要とする)役割にふさわしい仮面を自分流に身につけるすべに習熟することに価値を見いだし、努力するようになります。
ところが、歌手や俳優とりわけアイドルの場合は、ティーンエイジャーから一気に「イメージがその人本人の実体よりも重要な世界」に飛び込んでしまうわけです。
それで右も左も分からないまま、全国各地をプロモーション活動に飛び回り、ふと気づく頃には20歳過ぎの大人の年齢になっている。
それでも売れているときはいいのですが、売れなくなってくると「もはやアイドルではあり得ない、年齢相応の大人の歌を歌いたい」ということになった場合、問題がどっと出てくるのだと思う。
大人としての自分らしさって何か?と。
アイドルというのはみんな人一倍かわいらしいので、引く手あまた。
みんな早いうちに結婚して引退してしまいます。
そうしなかった石川ひとみのようなケースでは、この問題に大なり小なり悩むことになるのでしょう。
上は1986年8月のナベプロ女性タレントのスケジュール表です。
アグネス・チャン、アン・ルイス、小柳ルミ子が3枚看板で、売り出しにもっとも力を入れているのが河合その子ですね。86年、87年はだいたいこのようなものです。
ひっちゃん、悩む時間が多すぎたのではないかな。
このスケジュールはつらいよね。
「アモーレ」の大変身の時でも、それまでやってきたスタイルをやめる決意をしたかと思うけど、あのときは多分『メモリー』を歌ってみて、ダメだったらイメチェンしようとワンクッション置いたのだと思う。
よい子のまま大人になってしまった石川ひとみ、歌手としては望むと望まぬとにかかわらずアイドルとしてのペルソナを担い、それに伴い余儀なくされる習慣的行動を「アイドル苦」と感じるものがある。
顧みて、もう少し自然に笑えばいいのに、とか...
それで、石川ひとみちゃんの場合、ペルソナの問題に続いて、シャドーの問題に当面しているように感じられますね。
人間性の中に潜んでいる好ましからぬ影の部分(シャドー)、これを見据え、解体し、超克していくことは人格的に成熟していくための最大の課題とされています。
一般的にペルソナは青年期・思春期の問題、シャドーは成熟期の課題とされますが、子ども世界から一気に大人世界に飛び込んで否応なしのペルソナを担い、あっという間に5年たち10年たちというところに来てしまった結果だと思う。
それで、人が成熟していくためには何が必要であるのか、その答えが石川ひとみの場合「秘密の森」
だった。
では、石川ひとみにとって「秘密の森」はどういう意味があったのか、もっと深い意味とは何だったのかということになってきます。
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