この『冬のかもめ』は、はじける笑顔を抑えて初めて本格的な憂い顔を見せてくれています。といっても石川ひとみですから、淡々とした能面のような表情ですけれど、ちょっと妖しい魅力だね。
石川ひとみ 「冬のかもめ」 (1982)
作詞:康珍化、作曲:西島三重子、編曲:鷲巣詩郎
作詞:康珍化、作曲:西島三重子、編曲:鷲巣詩郎
哀しみを内に秘めて抑えているような感じが良いのかもしれません。
演技ができないという石川ひとみさんの性格もあるのでしょうか。
でも、歌い終わった後の笑顔は、掟(おきて)破りの愛らしさ。(意味不明ですが...)
石川ひとみ 『冬のかもめ』
「もんもんドラエティー」でひとみちゃんのおじいちゃん役をやっていた坂上二郎が見守っていますね。
西島三重子さんの哀愁路線、いい曲です。
少しインパクトが足りないかな、という気はしますが、できの良い「年相応の女の子」の歌に仕上がっていると思う。
歌詞を解釈すると、この曲のサビの部分は
「冬のかもめ、冬のかもめよ 伝えてよ あの人に
いつか涙が乾いても 忘れはしないと...」
...という部分ですが、
冬のかもめというものが喚起するイメージや情感は鮮明ではありません。
かもめという鳥の名前は誰でも知っていますが、実際に間近に見て生態を知っている人は少ないのではないかな?
海の近くの、漁師町にでも住んだ人でないと、生活的な現実味はないでしょう。私は磯釣りに行きますので、かもめという鳥は釣った魚をさらっていく白いカラスという実感があります。
逆に港などで非日常的にしかお目にかかれない海の鳥だから、象徴的に用いることができると考えたのかもしれません。それに従えば、彼を失った悲しみと孤独感を象徴しているのだと素直に理解しておけば良いのでしょう。
ただし、西島三重子の思い入れほどには、「冬のかもめ」がもたらすイメージは鮮烈ではない。
かもめが担っているであろう意味的な重さは、ひとえに作者の心の中にしかなく、映画であれば背景のひとつ程度にしか描写はされていないので、受け手には十分意味のあるものとしては伝わってこないかと...。
多分、1978年研ナオコ「かもめはかもめ」(中島みゆき)が西島三重子の意識の波間に見え隠れしているのだろう。「かもめはかもめ、ひとりで空を、ゆくのがお似合い」
ひとり、冬の海で亡くなった彼の魂に、私の孤独な思いを伝えるのはひとりで空を、ゆくかもめがふさわしい、と。
けれども、この歌だけで喚起するイメージは、作詞者のイメージほどには鮮明ではない、だろう。
それで、「あなたがくれたさくら貝は
あなたが眠る冬の海に 返してくるのが一番いいいと
みんな言うのです」
「あいつが誰より愛していた
君がひとりで冬の海へ たずねて行くのが一番いいと
みんな言うのです」
...ということなのですけど、これは決して普通ではない西島三重子ワールドの表現だな、という気がします。一般的な感覚では、「このさくら貝は彼の忘れ形見だから、大事にしなさいね」とか言うのが妥当なところでしょう。
「みんな」というのがどんな人たちなのかイメージが湧かないのですが、複数いる人たちみんなが、「返してくるのが一番いい」という。
大事にしなさいという常識的な発言をする人はいない、という、考えてみれば奇異な「みんな」...。
これは、ひとえに作詞者が凝視しているのは「ひとり海で亡くなった彼の孤独感」であって、残された「きみ」が抱いている孤独ではない、ということなのだろう。
二番の歌詞も同様で、君がひとりで たずねて行くのが一番いいと。
後に残された者のつらさよりも、亡くなった者の「ありもしない孤独」の幻想の方を凝視している。
いってしまえば未熟な死生観なのですが、年齢的なことを考えれば無理もないことでしょう。
それで「みんな」というのは、若い仲間たちで、つらさをこらえている「きみ」の心が揺れて後追い自殺でもしかねないかな、とか思いやることなどないのだろうなという感じだね。
大人は、亡くなった人よりも、残された人が(しっかりと)生きていくことの方が大事なんだよ、と考えるのが普通だと思う。
けれども、西島三重子はあえてそのような成熟を拒否したところでブルーな世界を描こうとしているのだろうね。別ページヴィッキーの「Blue is my world, now without you.」の、一つの物語を作ったと。
ここにあるのは、実在の現実的な物語ではなく、表現の中にだけある現実なのだ、といって良い。
その感性のあり方は、荒井由実の『まちぶせ』と同質なものを感じるね。
荒井由実と違うところは、西島三重子はストーリーテラーだと、いうところかな。そのストーリーは、哀しみあるいは孤独感といった感情に焦点をあてて、言葉を積み重ねていって色彩を濃くしていく水彩画のようだ。決して、劇的な構成をもったストーリーではない。
個性の違いがありますので、無い物ねだりはできませんが、阿久悠の歌詞に見られるような「つかみ」の要素が「かもめ」では、若干弱い所以はここにある。
演歌であれば石川さゆり『津軽海峡冬景色』みたいに思い入れたっぷり歌えば、その弱点を補って良くなるのでしょうが、サラリ系の石川ひとみちゃんの歌ですから、歌詞で引き込む要素がシットリ系のこの歌では大切ではないか、と思うけれどね。
いまいち強く引きつけられるものが弱い、のめり込めるほどのものが若干不足、という感じは否めないのですがそれこそが西島三重子的世界であり、しみじみきける良い曲であることは間違いない。
まあ、私はこの歌を聴いていて、ひとみちゃんの滅多に見られない憂い顔に惹かれていて、歌詞の意味など詮索したりはしていないのですけどね。
さてと、このカテゴリーで取り上げる以上、プロデュースの問題を少しばかり書いておく必要がある、ということで蛇足を書いておきます。
毎回大ヒットやホームランを狙っているわけではありませんから、前作『君は輝いて天使に見えた』が元気いっぱいのノリノリ曲だったことで、まったく対照的なこの曲を持ってきた。
これは長岡和弘の(絵画で言えば)コンポジション感覚でしょう。ボクシングのパンチのように、強弱をつけ、上下に打ち分けるというのと同じしょう。
この『冬のかもめは』強弱をつけるコンポジションの弱を担っている歌だね。
一時の打ち上げ花火のようではなく息の長い歌手を目指したい、という石川ひとみの要望を汲んでいるからこそ、ファンに飽きられないように構成を考えているのだと思う。
一見、大輪茂男的構成を受け継いでいるかのようだけれども、大輪のように対角線投法ではなく、ほどほどに変化をつけているのだ、と。
けれども、そこにはまた別の問題があるかと思うな。シリアルに、つまり連続線として構成を考えているわけですけれど、立体的にあるいは100歩譲って平面としての構成はなされていない。
簡単にいってしまえば、谷山浩子や西島三重子、あるいはアイドル松田聖子のような世界、つまり石川ひとみワールドを形成し得ていないな、ということだね。木を見て、森を見ずという感じ、と言い換えても良い。
自分で作詞作曲をするシンガーソング・ライターは当然としても、いろいろな作詞・作曲家の歌を歌っていても松田聖子は聖子ワールドを形成している。
そういうものを形成していくこと、それがプロデュース戦略ということだけれども...
「石川ひとみの世界」、といっても明確な印象が浮かばないのだけど、ねぇ。
もちろん、石川ひとみらしさというのは明瞭すぎるほど浮かぶし、
個々の歌も明瞭に浮かぶ。
けれど、全体として、明瞭なイメージは浮かばない。
長岡和弘はいち時(どき)に曲を発注して、出来てきたものをシリアルに並べてコンポジションしていたわけで、制作時期が前後するものがいろいろあります。
それで、歴代のプロデューサーの中では一番長くやってきたのだけれど、「時間的なテールエンドを持つ流れ星をプロデュースした」という以上のことは出来ていない、という気がするな。
たとえていえば、オリオン座とかはくちょう座といった物語性をもった星座ではなく、ハレー彗星だね。
シングル曲年譜を見れば分かるように、売り上げがどんどんじり貧になっていく。
細く長く路線でもかまわないけれど、アベレージヒッターでなければ長続きはしないのは当たり前だよね。
流行とか時代性に流されない歌作りを目指したからこそ、今日でも色あせない曲が多いというのはそれで良い。
けれども、私が問題を感じているのは、一つの曲をリリースしたら、ファンの反応をしっかりと把握して、次の曲に反映させるとか、次の曲でイメージをさらにふくらませるだとか、有機的なつながりを持ったコンポジションを考えないといけなかったのではないか、と。
つまり、いくつかの曲がある種の親和力を持ったクラスターのような集まりを形成して、いくつかのクラスターが集まって生態系のようなものとなり、ひとみワールドを創出していくという発想が見られないよね、ということです。
いち時に曲を発注して、後で構成を考えていたらそういうことは出来ない。
早々と予算を使い切ってしまい、『まちぶせ』の時のように、前の原盤を再利用しようとしたり、ということも起こる。
どうみても、じり貧をV字回復するには十分とは言えないやり方ではないかな。
その帰結として『冬のかもめ』は、『君は輝いて天使に見えた』の半分の売り上げにとどまりました。
もちろん、売り上げだけが歌の良さの尺度ではないのですが、ファンの心をどう掴むかというプロデュースの観点から、ずっと見てきていますのでその点をご了解頂ければと思います。
それにしても、ひとみちゃんのドレスのふくらみ、すごいですね。この時期がマックスになるのかな。年齢的に、アイドル路線は最終章に近づいているはずですが、当時は、このようなドレスが流行っていたのかと思います。
同じ時期に、私の姉の年若い後輩の女性が、これくらいふくらんだ淡いピンクのドレス姿で我が家を訪れたことがあります。
「うわー、もろにアイドルしている!」と驚いて、どうしてふくらむのか中を見せて頂いたことを思い出します。
演技ができないという石川ひとみさんの性格もあるのでしょうか。
でも、歌い終わった後の笑顔は、掟(おきて)破りの愛らしさ。(意味不明ですが...)
石川ひとみ 『冬のかもめ』
「もんもんドラエティー」でひとみちゃんのおじいちゃん役をやっていた坂上二郎が見守っていますね。
西島三重子さんの哀愁路線、いい曲です。
少しインパクトが足りないかな、という気はしますが、できの良い「年相応の女の子」の歌に仕上がっていると思う。
歌詞を解釈すると、この曲のサビの部分は
「冬のかもめ、冬のかもめよ 伝えてよ あの人に
いつか涙が乾いても 忘れはしないと...」
...という部分ですが、
冬のかもめというものが喚起するイメージや情感は鮮明ではありません。
かもめという鳥の名前は誰でも知っていますが、実際に間近に見て生態を知っている人は少ないのではないかな?
海の近くの、漁師町にでも住んだ人でないと、生活的な現実味はないでしょう。私は磯釣りに行きますので、かもめという鳥は釣った魚をさらっていく白いカラスという実感があります。
逆に港などで非日常的にしかお目にかかれない海の鳥だから、象徴的に用いることができると考えたのかもしれません。それに従えば、彼を失った悲しみと孤独感を象徴しているのだと素直に理解しておけば良いのでしょう。
ただし、西島三重子の思い入れほどには、「冬のかもめ」がもたらすイメージは鮮烈ではない。
かもめが担っているであろう意味的な重さは、ひとえに作者の心の中にしかなく、映画であれば背景のひとつ程度にしか描写はされていないので、受け手には十分意味のあるものとしては伝わってこないかと...。
多分、1978年研ナオコ「かもめはかもめ」(中島みゆき)が西島三重子の意識の波間に見え隠れしているのだろう。「かもめはかもめ、ひとりで空を、ゆくのがお似合い」
ひとり、冬の海で亡くなった彼の魂に、私の孤独な思いを伝えるのはひとりで空を、ゆくかもめがふさわしい、と。
けれども、この歌だけで喚起するイメージは、作詞者のイメージほどには鮮明ではない、だろう。
それで、「あなたがくれたさくら貝は
あなたが眠る冬の海に 返してくるのが一番いいいと
みんな言うのです」
「あいつが誰より愛していた
君がひとりで冬の海へ たずねて行くのが一番いいと
みんな言うのです」
...ということなのですけど、これは決して普通ではない西島三重子ワールドの表現だな、という気がします。一般的な感覚では、「このさくら貝は彼の忘れ形見だから、大事にしなさいね」とか言うのが妥当なところでしょう。
「みんな」というのがどんな人たちなのかイメージが湧かないのですが、複数いる人たちみんなが、「返してくるのが一番いい」という。
大事にしなさいという常識的な発言をする人はいない、という、考えてみれば奇異な「みんな」...。
これは、ひとえに作詞者が凝視しているのは「ひとり海で亡くなった彼の孤独感」であって、残された「きみ」が抱いている孤独ではない、ということなのだろう。
二番の歌詞も同様で、君がひとりで たずねて行くのが一番いいと。
後に残された者のつらさよりも、亡くなった者の「ありもしない孤独」の幻想の方を凝視している。
いってしまえば未熟な死生観なのですが、年齢的なことを考えれば無理もないことでしょう。
それで「みんな」というのは、若い仲間たちで、つらさをこらえている「きみ」の心が揺れて後追い自殺でもしかねないかな、とか思いやることなどないのだろうなという感じだね。
大人は、亡くなった人よりも、残された人が(しっかりと)生きていくことの方が大事なんだよ、と考えるのが普通だと思う。
けれども、西島三重子はあえてそのような成熟を拒否したところでブルーな世界を描こうとしているのだろうね。別ページヴィッキーの「Blue is my world, now without you.」の、一つの物語を作ったと。
ここにあるのは、実在の現実的な物語ではなく、表現の中にだけある現実なのだ、といって良い。
その感性のあり方は、荒井由実の『まちぶせ』と同質なものを感じるね。
荒井由実と違うところは、西島三重子はストーリーテラーだと、いうところかな。そのストーリーは、哀しみあるいは孤独感といった感情に焦点をあてて、言葉を積み重ねていって色彩を濃くしていく水彩画のようだ。決して、劇的な構成をもったストーリーではない。
個性の違いがありますので、無い物ねだりはできませんが、阿久悠の歌詞に見られるような「つかみ」の要素が「かもめ」では、若干弱い所以はここにある。
演歌であれば石川さゆり『津軽海峡冬景色』みたいに思い入れたっぷり歌えば、その弱点を補って良くなるのでしょうが、サラリ系の石川ひとみちゃんの歌ですから、歌詞で引き込む要素がシットリ系のこの歌では大切ではないか、と思うけれどね。
いまいち強く引きつけられるものが弱い、のめり込めるほどのものが若干不足、という感じは否めないのですがそれこそが西島三重子的世界であり、しみじみきける良い曲であることは間違いない。
まあ、私はこの歌を聴いていて、ひとみちゃんの滅多に見られない憂い顔に惹かれていて、歌詞の意味など詮索したりはしていないのですけどね。
さてと、このカテゴリーで取り上げる以上、プロデュースの問題を少しばかり書いておく必要がある、ということで蛇足を書いておきます。
毎回大ヒットやホームランを狙っているわけではありませんから、前作『君は輝いて天使に見えた』が元気いっぱいのノリノリ曲だったことで、まったく対照的なこの曲を持ってきた。
これは長岡和弘の(絵画で言えば)コンポジション感覚でしょう。ボクシングのパンチのように、強弱をつけ、上下に打ち分けるというのと同じしょう。
この『冬のかもめは』強弱をつけるコンポジションの弱を担っている歌だね。
一時の打ち上げ花火のようではなく息の長い歌手を目指したい、という石川ひとみの要望を汲んでいるからこそ、ファンに飽きられないように構成を考えているのだと思う。
一見、大輪茂男的構成を受け継いでいるかのようだけれども、大輪のように対角線投法ではなく、ほどほどに変化をつけているのだ、と。
けれども、そこにはまた別の問題があるかと思うな。シリアルに、つまり連続線として構成を考えているわけですけれど、立体的にあるいは100歩譲って平面としての構成はなされていない。
簡単にいってしまえば、谷山浩子や西島三重子、あるいはアイドル松田聖子のような世界、つまり石川ひとみワールドを形成し得ていないな、ということだね。木を見て、森を見ずという感じ、と言い換えても良い。
自分で作詞作曲をするシンガーソング・ライターは当然としても、いろいろな作詞・作曲家の歌を歌っていても松田聖子は聖子ワールドを形成している。
そういうものを形成していくこと、それがプロデュース戦略ということだけれども...
「石川ひとみの世界」、といっても明確な印象が浮かばないのだけど、ねぇ。
もちろん、石川ひとみらしさというのは明瞭すぎるほど浮かぶし、
個々の歌も明瞭に浮かぶ。
けれど、全体として、明瞭なイメージは浮かばない。
長岡和弘はいち時(どき)に曲を発注して、出来てきたものをシリアルに並べてコンポジションしていたわけで、制作時期が前後するものがいろいろあります。
それで、歴代のプロデューサーの中では一番長くやってきたのだけれど、「時間的なテールエンドを持つ流れ星をプロデュースした」という以上のことは出来ていない、という気がするな。
たとえていえば、オリオン座とかはくちょう座といった物語性をもった星座ではなく、ハレー彗星だね。
シングル曲年譜を見れば分かるように、売り上げがどんどんじり貧になっていく。
細く長く路線でもかまわないけれど、アベレージヒッターでなければ長続きはしないのは当たり前だよね。
流行とか時代性に流されない歌作りを目指したからこそ、今日でも色あせない曲が多いというのはそれで良い。
けれども、私が問題を感じているのは、一つの曲をリリースしたら、ファンの反応をしっかりと把握して、次の曲に反映させるとか、次の曲でイメージをさらにふくらませるだとか、有機的なつながりを持ったコンポジションを考えないといけなかったのではないか、と。
つまり、いくつかの曲がある種の親和力を持ったクラスターのような集まりを形成して、いくつかのクラスターが集まって生態系のようなものとなり、ひとみワールドを創出していくという発想が見られないよね、ということです。
いち時に曲を発注して、後で構成を考えていたらそういうことは出来ない。
早々と予算を使い切ってしまい、『まちぶせ』の時のように、前の原盤を再利用しようとしたり、ということも起こる。
どうみても、じり貧をV字回復するには十分とは言えないやり方ではないかな。
その帰結として『冬のかもめ』は、『君は輝いて天使に見えた』の半分の売り上げにとどまりました。
もちろん、売り上げだけが歌の良さの尺度ではないのですが、ファンの心をどう掴むかというプロデュースの観点から、ずっと見てきていますのでその点をご了解頂ければと思います。
それにしても、ひとみちゃんのドレスのふくらみ、すごいですね。この時期がマックスになるのかな。年齢的に、アイドル路線は最終章に近づいているはずですが、当時は、このようなドレスが流行っていたのかと思います。
同じ時期に、私の姉の年若い後輩の女性が、これくらいふくらんだ淡いピンクのドレス姿で我が家を訪れたことがあります。
「うわー、もろにアイドルしている!」と驚いて、どうしてふくらむのか中を見せて頂いたことを思い出します。
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