石川ひとみ「あざやかな微笑み」(1979/01/21) 作詞:森雪之丞、作曲:西島三重子、編曲:大村雅朗
都会的なテイストを持った、じっくりしみじみ聞ける良い曲です。
哀しい曲作りが得意な西島三重子さん、いいですね。
実力のあるアイドル歌手石川ひとみの歌唱力がストレートに伝わって、気持ちよく聞けます。
都会的なテイストを持った、じっくりしみじみ聞ける良い曲です。
哀しい曲作りが得意な西島三重子さん、いいですね。
実力のあるアイドル歌手石川ひとみの歌唱力がストレートに伝わって、気持ちよく聞けます。
石川ひとみちゃんの歌、いい曲なのにどうして売れないのか、不思議でしょうがないというファンは多い。
そのワケは、歌のセグメンテーションから見れば百家争鳴、ファン層が分散してしまっているからなのだと思います。大輪茂男に振り回された、と。大人の歌、いじらしい歌、明るい歌、哀しい歌...
それと、やはり遠慮せずに言えば、「クルミ割り人形」後半から次第に太り始めて、1979年は太めのひっちゃん時代......。他のアイドルたちは、みんなテレビ写りを良くするために必要以上に痩せていましたから、ねっ。(画像は大きくしない方がいいな...)
さて、セカンドアルバムの『くるみ割り人形』は『右向け右』の4倍の売り上げを記録しました。
ファンの気持ちにミートするものがあったからですね。
その周辺を、連発して土台を固める必要があったはずです。
そして、第3作目が、『あざやかな微笑』
西島三重子さんの作曲で、作詞が森雪之丞。失恋の追憶です。涙と微笑みという組み合わせ。
前作の『くるみ割り人形』と歌詞的には同系統なのですが、今度は思いっきり曲調が違って、非常に悲しい大人の曲になっています。
『くるみ割り人形』では」エンジン全開してレッドゾーンに飛び込むほど気持ちよく歌っていたのに、今度はしっとりと歌い上げている。
またまたファンの予想を覆してくれたわけです。
徹底的にいじらしい少女の世界を歌った石川ひとみちゃんが、こんどは一足飛びに「大人になりかかった女」の失恋歌を歌う、という変身。
出たとこ勝負の奇襲戦法みたいな感じがします。
ファンとしては、石川ひとみがどこに出現するのか見当がつかず、おっ!あっちだ、こっちだ...と、振り回されっぱなしという感じです。
どんな歌でもそれなりに高いレベルで歌いこなしてしまう歌唱力が、逆に振幅の激しさとなってマイナスになったのではないかな。
『あざやかな微笑』の歌そのものはしみじみと聞けるいい曲で、好きな人も多い。
西島三重子さん流のテイストが快いです。
じっくり聴いてみると、石川ひとみらしい持ち味が十分に出ています。
けれども、歌詞に盛り込まれたのはまさにタイトル通り。
失恋したけれども、あなたにはきっぱりと微笑みを見せてあげるわ、という女の意地です。
この歌詞は、たとえるならモノクロの報道写真ですね。
目頭から1センチ、涙が流れるか流れないか、ギリギリのところで、涙よとまれ、という気持ちをシャッターがとらえた。そういう詩です。
なにか、報道写真に時折見られる涙の画像などを見て、女の涙のインスピレーションが湧いて書いたものかもしれません。
私も、報道写真を撮っていたことがあり、写真的な切り口というものが印象的で共感できます。
しかし、あえて玉に瑕を言うなら、この歌詞にはそれ以上のものはない。
つまり、「涙」にまつわるストーリーが希薄である、と思う。
ここに見られるのは、男性の作詞家と女性作詞家の間に横たわる「言葉の不毛地帯」ではないかな。
女性作詞家の歌詞は、リアリズムが克ちすぎて、男女がまみれすぎる。
べっとりとした感情が、ストレートすぎて、暗喩(メタファー)に乏しい。
せいぜいオブラートにくるんで、印象を和らげようとすることしかできていない。
それは、メタファーのようでいて、実は詩的表現とはとても言えないものですね。
いっぽう、観念性の高い男性作詞家の場合、肝心の女性の感情を深くは表現し得ていないようだ。
まさに、この「あざやかな微笑み」がそうであるように、女の気持ちのストーリーが描けていない、ように思えます。
私が見るところ、この部分でハードルをきれいにクリアしているのは天野滋さんの『ひとりじめ』だけですね。
このひとは、いい感性を持っているなと思います。
歌謡曲は歌詞を彩る曲・編曲や、歌い手の魅力も総合的な魅力の要素ですから、歌詞だけの要素で売れるかどうか言えないのですが、曲がいい、ひっちゃんが歌っている(太めだけどまあいいか)。
となれば、あとは歌詞とプロデュースの稚拙さが問題になる。
デビュー以来の歌手と歌詞のミスマッチ感、プロデュースの一貫性のなさ(意外性路線)が災いして、もっと売れていいはずなのに売れない不思議な話がここから始まった、といって良いでしょうね。
単に、歌手と、歌詞と、曲とのマッチングだけではなく、前後の流れあるいはストーリーの問題です。
大輪茂男のプロデュース戦術は、野球の投手でいうと「対角線投法」です。内角で胸元を突き、次は外角低め。次は内角低めを見せて、外角高めのつり球...、という揺さぶりプロモーションといって良い。
それで、この『あざやかな微笑』は、前作の半分の売り上げにとどまりました。
『くるみ割人形』で知名度が増して、客層が見えてきてプロモーションにも力が入ったのですから、最低でも自然増は当たり前。悪くても倍増か、と読める段階でのこの結果です。
『くるみ割り人形』でようやく上げ潮に乗ったかな、という手応えをつかんだはずでしたのに、また路線を変えてしまったために売れなかった。
『くるみ割り』ファンの半分は、ファンの気持ちを置き去りにして「大人の女の歌」を歌う歌手石川ひとみについて行かなかったのです。
ファンと共に成長していく、という視点が欠落している、とあえて言っておきたい。
物語性に乏しいというのも、アッピールしなかった要素かもしれないな。
ファンを本当の固定ファンにする前に、ころころとポジショニングを変えては、ファンが取り残され、分離していきます。
少なくとも二人の石川ひとみがいて、ファン層を分割しているのではないかと思えます。
そのワケは、歌のセグメンテーションから見れば百家争鳴、ファン層が分散してしまっているからなのだと思います。大輪茂男に振り回された、と。大人の歌、いじらしい歌、明るい歌、哀しい歌...
それと、やはり遠慮せずに言えば、「クルミ割り人形」後半から次第に太り始めて、1979年は太めのひっちゃん時代......。他のアイドルたちは、みんなテレビ写りを良くするために必要以上に痩せていましたから、ねっ。(画像は大きくしない方がいいな...)
さて、セカンドアルバムの『くるみ割り人形』は『右向け右』の4倍の売り上げを記録しました。
ファンの気持ちにミートするものがあったからですね。
その周辺を、連発して土台を固める必要があったはずです。
そして、第3作目が、『あざやかな微笑』
西島三重子さんの作曲で、作詞が森雪之丞。失恋の追憶です。涙と微笑みという組み合わせ。
前作の『くるみ割り人形』と歌詞的には同系統なのですが、今度は思いっきり曲調が違って、非常に悲しい大人の曲になっています。
『くるみ割り人形』では」エンジン全開してレッドゾーンに飛び込むほど気持ちよく歌っていたのに、今度はしっとりと歌い上げている。
またまたファンの予想を覆してくれたわけです。
徹底的にいじらしい少女の世界を歌った石川ひとみちゃんが、こんどは一足飛びに「大人になりかかった女」の失恋歌を歌う、という変身。
出たとこ勝負の奇襲戦法みたいな感じがします。
ファンとしては、石川ひとみがどこに出現するのか見当がつかず、おっ!あっちだ、こっちだ...と、振り回されっぱなしという感じです。
どんな歌でもそれなりに高いレベルで歌いこなしてしまう歌唱力が、逆に振幅の激しさとなってマイナスになったのではないかな。
『あざやかな微笑』の歌そのものはしみじみと聞けるいい曲で、好きな人も多い。
西島三重子さん流のテイストが快いです。
じっくり聴いてみると、石川ひとみらしい持ち味が十分に出ています。
けれども、歌詞に盛り込まれたのはまさにタイトル通り。
失恋したけれども、あなたにはきっぱりと微笑みを見せてあげるわ、という女の意地です。
この歌詞は、たとえるならモノクロの報道写真ですね。
目頭から1センチ、涙が流れるか流れないか、ギリギリのところで、涙よとまれ、という気持ちをシャッターがとらえた。そういう詩です。
なにか、報道写真に時折見られる涙の画像などを見て、女の涙のインスピレーションが湧いて書いたものかもしれません。
私も、報道写真を撮っていたことがあり、写真的な切り口というものが印象的で共感できます。
しかし、あえて玉に瑕を言うなら、この歌詞にはそれ以上のものはない。
つまり、「涙」にまつわるストーリーが希薄である、と思う。
ここに見られるのは、男性の作詞家と女性作詞家の間に横たわる「言葉の不毛地帯」ではないかな。
女性作詞家の歌詞は、リアリズムが克ちすぎて、男女がまみれすぎる。
べっとりとした感情が、ストレートすぎて、暗喩(メタファー)に乏しい。
せいぜいオブラートにくるんで、印象を和らげようとすることしかできていない。
それは、メタファーのようでいて、実は詩的表現とはとても言えないものですね。
いっぽう、観念性の高い男性作詞家の場合、肝心の女性の感情を深くは表現し得ていないようだ。
まさに、この「あざやかな微笑み」がそうであるように、女の気持ちのストーリーが描けていない、ように思えます。
私が見るところ、この部分でハードルをきれいにクリアしているのは天野滋さんの『ひとりじめ』だけですね。
このひとは、いい感性を持っているなと思います。
歌謡曲は歌詞を彩る曲・編曲や、歌い手の魅力も総合的な魅力の要素ですから、歌詞だけの要素で売れるかどうか言えないのですが、曲がいい、ひっちゃんが歌っている(太めだけどまあいいか)。
となれば、あとは歌詞とプロデュースの稚拙さが問題になる。
デビュー以来の歌手と歌詞のミスマッチ感、プロデュースの一貫性のなさ(意外性路線)が災いして、もっと売れていいはずなのに売れない不思議な話がここから始まった、といって良いでしょうね。
単に、歌手と、歌詞と、曲とのマッチングだけではなく、前後の流れあるいはストーリーの問題です。
大輪茂男のプロデュース戦術は、野球の投手でいうと「対角線投法」です。内角で胸元を突き、次は外角低め。次は内角低めを見せて、外角高めのつり球...、という揺さぶりプロモーションといって良い。
それで、この『あざやかな微笑』は、前作の半分の売り上げにとどまりました。
『くるみ割人形』で知名度が増して、客層が見えてきてプロモーションにも力が入ったのですから、最低でも自然増は当たり前。悪くても倍増か、と読める段階でのこの結果です。
『くるみ割り人形』でようやく上げ潮に乗ったかな、という手応えをつかんだはずでしたのに、また路線を変えてしまったために売れなかった。
『くるみ割り』ファンの半分は、ファンの気持ちを置き去りにして「大人の女の歌」を歌う歌手石川ひとみについて行かなかったのです。
ファンと共に成長していく、という視点が欠落している、とあえて言っておきたい。
物語性に乏しいというのも、アッピールしなかった要素かもしれないな。
ファンを本当の固定ファンにする前に、ころころとポジショニングを変えては、ファンが取り残され、分離していきます。
少なくとも二人の石川ひとみがいて、ファン層を分割しているのではないかと思えます。
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