石川ひとみ 「アモーレ」 (1984/7/5 ) 作詞:竜真知子、作曲:佐藤隆、編曲:国吉良一
この曲での大胆なイメチェンは、どういうことなのでしょうか?
完全にアイドル路線から脱皮するための決意を秘めた変身であることは想像に難くない。
この曲での大胆なイメチェンは、どういうことなのでしょうか?
完全にアイドル路線から脱皮するための決意を秘めた変身であることは想像に難くない。
このころから、渡辺音楽出版の比重が増してきたようで、キャニオンから来ているプロデューサーたちの権限が相対的に低下してきたようです。
ひとみ陣営の長岡和弘も例外ではなく、要するにナベプロの意向が強く反映されるようになる。
この年、写真集「心変わり...瞳の中の女たち」が出版されていますね。
このイメチェンと無関係ではないでしょう。これについては、「ファン・ノート」の方で、石川ひとみ自身の説明を取り上げています。
前作の『メモリー』はニュートラルな曲で、それまで歌ってきた恋の歌ではなく、人生を歌い上げるという西欧的感性の歌でした。けれども、何か石川ひとみの意欲が空回りしたようなところがあり、オリコン圏外という結果に終わっている。
ナベプロとしては、何とかしてひとみちゃんの人気を取り戻したいと考えてのことだったのでしょう。
『アモーレ』は、それまでのかわいらしいひとみちゃんのイメージを一変させて、三原じゅん子に似たツッパリイメージだね。
もう、決心してしまったのですから、これはこれで魅力的です。
この変身は、あの山口百恵の1976年 「横須賀ストーリー」への変身を思い出させます。
けれども、決定的な違いがあるのではないかな。
山口百恵の場合は、作詞作曲に阿木燿子・宇崎竜童夫妻を抜擢したのは百恵自身であった、ということです。百恵ちゃんが、二人を指名したわけですね。自分のビジョンに基づいて、変身した。
歌手石川ひとみの場合、ナベプロではそれは出来なかったのではないかな。
まあ、こういう変身願望はひとみちゃん自身にあったことは確かだけどね。
「ファン・ノート」の方で、時々掲載するもうひとりの石川ひとみ写真群などまさにこれに近い。
上手く演出するのであれば、「メモリー」で歌手休業して、シルクロード音楽の旅などに出かけてしまい、帰国した時は「アモーレ」みたいな姿だったら、何かを得て、何かを捨てたという新たなストーリーが展開できるだろう。
そのようなストーリーを持たない変身では、説得性に欠けるだろう。ファンにとっては意味不明の変身だと。
山口百恵が「横須賀ストーリー」にスムーズに移行できたのは、彼女が横須賀出身だったから、そこに意味を見いだせる。
石川ひとみの場合は、唐突な変身だった。
聖子ちゃんカットも完全に改め、化粧も、衣装もガラリと変え、振り付けも再びオーバーアクションになり、当然顔の表情、とくに目線の印象を変えました。(アモーレにはきつい目線が出始めていますけど)
トレードマークだった左の八重歯も矯正したのか見えなくなった。
かわいらしい口元になってしまうからかもしれないね。
この辺のイメチェンは、写真集「心変わり...瞳の中の女たち」と無関係ではないですね。
ヌード写真を出すのであれば、もはやアイドル・イメージから完全に離れたイメージの曲と演出にしてしまった方がいい、というところでしょう。
「アモーレ、アモーレ、アモーレ・ミオ。この夏ちょっと遊 ing」
...と、書きながら、もう一台のパソコンでRealPlayer を起動して「アモーレ」を再生してみる。
アイドルイメージを忘れてしまえば、
石川ひとみって「いい女!」と、
引きずり込まれそうになる、ノダ。
どうしても三原順子を思い出してしまうのだけれども、順子よりも歌の迫力があり、声の通り方が全然違う。曲のアレンジも良くて、迫力があり、ノってくる。
うーん、参るナー。この線もいいかも...
アイドルイメージを持ち続けるファンとしては、ちょっと痛ましい気がするかもしれないけども、しっかりとプロセスを踏んでここまで見てくると、印象は違ってくる。
このような良いアレンジで、迫力のある石川ひとみをクリエイトしても良いのではないか?
そう、思えてくるな。
太ももを晒してもいい。もう24歳なのだから、セクシー路線OKでーす。

しかし、相変わらず足が細くて、もう少し肉感的にならんとね、と変な応援をしたくなる。
イイ女の石川ひとみ、元がイイから何をやってもイイ。
大人のファンとしては、間奏の時にニッコリしないで山口百恵路線を突っ走れ、と檄をとばしたいくらいだな。
ひとみ陣営の長岡和弘も例外ではなく、要するにナベプロの意向が強く反映されるようになる。
この年、写真集「心変わり...瞳の中の女たち」が出版されていますね。
このイメチェンと無関係ではないでしょう。これについては、「ファン・ノート」の方で、石川ひとみ自身の説明を取り上げています。
前作の『メモリー』はニュートラルな曲で、それまで歌ってきた恋の歌ではなく、人生を歌い上げるという西欧的感性の歌でした。けれども、何か石川ひとみの意欲が空回りしたようなところがあり、オリコン圏外という結果に終わっている。
ナベプロとしては、何とかしてひとみちゃんの人気を取り戻したいと考えてのことだったのでしょう。
『アモーレ』は、それまでのかわいらしいひとみちゃんのイメージを一変させて、三原じゅん子に似たツッパリイメージだね。
もう、決心してしまったのですから、これはこれで魅力的です。
この変身は、あの山口百恵の1976年 「横須賀ストーリー」への変身を思い出させます。
けれども、決定的な違いがあるのではないかな。
山口百恵の場合は、作詞作曲に阿木燿子・宇崎竜童夫妻を抜擢したのは百恵自身であった、ということです。百恵ちゃんが、二人を指名したわけですね。自分のビジョンに基づいて、変身した。
歌手石川ひとみの場合、ナベプロではそれは出来なかったのではないかな。
まあ、こういう変身願望はひとみちゃん自身にあったことは確かだけどね。
「ファン・ノート」の方で、時々掲載するもうひとりの石川ひとみ写真群などまさにこれに近い。
そのようなストーリーを持たない変身では、説得性に欠けるだろう。ファンにとっては意味不明の変身だと。
山口百恵が「横須賀ストーリー」にスムーズに移行できたのは、彼女が横須賀出身だったから、そこに意味を見いだせる。
石川ひとみの場合は、唐突な変身だった。
聖子ちゃんカットも完全に改め、化粧も、衣装もガラリと変え、振り付けも再びオーバーアクションになり、当然顔の表情、とくに目線の印象を変えました。(アモーレにはきつい目線が出始めていますけど)
トレードマークだった左の八重歯も矯正したのか見えなくなった。
かわいらしい口元になってしまうからかもしれないね。
この辺のイメチェンは、写真集「心変わり...瞳の中の女たち」と無関係ではないですね。
ヌード写真を出すのであれば、もはやアイドル・イメージから完全に離れたイメージの曲と演出にしてしまった方がいい、というところでしょう。
「アモーレ、アモーレ、アモーレ・ミオ。この夏ちょっと遊 ing」
...と、書きながら、もう一台のパソコンでRealPlayer を起動して「アモーレ」を再生してみる。
アイドルイメージを忘れてしまえば、
石川ひとみって「いい女!」と、
引きずり込まれそうになる、ノダ。
どうしても三原順子を思い出してしまうのだけれども、順子よりも歌の迫力があり、声の通り方が全然違う。曲のアレンジも良くて、迫力があり、ノってくる。
うーん、参るナー。この線もいいかも...
アイドルイメージを持ち続けるファンとしては、ちょっと痛ましい気がするかもしれないけども、しっかりとプロセスを踏んでここまで見てくると、印象は違ってくる。
このような良いアレンジで、迫力のある石川ひとみをクリエイトしても良いのではないか?
そう、思えてくるな。
太ももを晒してもいい。もう24歳なのだから、セクシー路線OKでーす。
しかし、相変わらず足が細くて、もう少し肉感的にならんとね、と変な応援をしたくなる。
イイ女の石川ひとみ、元がイイから何をやってもイイ。
大人のファンとしては、間奏の時にニッコリしないで山口百恵路線を突っ走れ、と檄をとばしたいくらいだな。
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