石川ひとみ 「三枚の写真」 (1981.10.5)
作詞:松本隆/作曲:大野克夫/編曲:葦沢聖吉
作詞:松本隆/作曲:大野克夫/編曲:葦沢聖吉
石川ひとみの真価を問われる次の一手としてリリースされた曲は同様にスローテンポでしっとりと歌い上げる『三枚の写真』でした。
石川ひとみ自身が『三枚の写真』について「私もスタッフも『まちぶせ』がヒットするまでは迷っていたが、それでぼんやりと輪郭がつかめたので、それをもっと広げたいと思うでしょう」と語っています。
当初の予定では『にわか雨』をリリースする事になっていたようですが、『まちぶせ』の大ヒットにより、急遽その後継曲(2匹目のドジョウ)として急浮上したという。
この経緯については、「三枚の写真リリースの経緯」 をご参照下さい。
石川ひとみ『三枚の写真』
次に歌詞を紹介しておきます。
これは大学生くらいの年齢を想定した「恋の追憶」ですね。ひと言で言えば「長すぎた春の、終わり」を歌っている、と。
俗に「長すぎる春は、成就しない」といいます。
長く付き合っているうちに友達感覚になってしまい、結婚には至らない、ということが多いものです。
生物学的な研究では、恋には期限があり18ヶ月から3年だと。人では家庭というものが続くけど...
女の人の場合は16歳でも、17歳でも、20歳でも、いつでも結婚しようと思えばできる。
しかし、男の場合は最低限経済的に自立して、女房・子どもを養えるようにならなければ結婚なんて踏み切れない。
そして、社会に出てみれば、経済的に自立できても、職業人としてはホンの駆け出しでとうてい一人前の大人ではないことを思い知らされる。
一人前の職業人として、プロフェッショナルな仕事ができるようになるためには、死にものぐるいで頑張らねばいけない時期があるのです。
22歳で学校を卒業した場合、22才でそういうものにぶち当たるわけです。
かくして男は、仕事の比重が急激に高くなり、それまで付き合っていた彼女と会う機会が間遠になる。
それが22歳の別れになっていく。
石川ひとみ「三枚の写真」は、16才、17才ときて、三番は20才になっています。
17才で微かな秋風を感じはじめてから3年、私20才、彼は22才。
...絵に描いたような「長すぎる春」のパターンです。
「22才の別れ」=自然消滅あるいは交際解消。
一般的な別れの歌であれば、Before & After の対比でいいわけです。すなわち「2枚の写真」
使用前/使用後とか、ダイエット前/ダイエット後、とか。
それが「三枚の写真」となる所以は、三番の「長すぎる春」を表現したかったのかな、とも考えられますね。
石川ひとみちゃん、三番の「あの眼差しは、焼きつーいて たのにー」と、意識して力を込めていますね。
ファンの皆さんから「演歌っぽい」と言われるところです。
これから考えてみますと、どうも歌い方は「長すぎた春の、別れ」にポイントを置いている、気がします。
誰が歌唱指導をしたのか分かりませんが、松本隆ではないでしょう。あるいは自由に歌ってもらっているのか?
これは三木聖子への提供曲ですから、彼女の場合には歌唱指導をしたかもしれない。
少なくとも歌詞の意味をレクチャーするくらいはやっているはずです。
けれども、松本隆の歌詞としてはあまり出来が良くないと私は思う。イメージが希薄です。
松本の書いた『赤いスイートピー』と比べてみると、内容的なものが明瞭に伝わってきません。
彼は松田聖子には『白いパラソル』からはじまって20曲を書いていますが、無名に近い三木聖子にはどんな歌を書いたらよいのか、イメージ作りが不十分だったのではないかな。
松本は松田聖子について、「全身で、しかも手足の指の先まで歌を表現している。この歌手ならば自分のフィーリングに合う...」と思ったという。その思いがシンクロニシティを招いたのか、松田聖子陣営から声がかかり、精力的に聖子の歌詞を書き出した。
そういうものを三木聖子には感じなかったのかとも思えます。思い入れが十分にはできなかった、と。
くわえて、作詞家に転向した松本の力量が安定したレベルに達し切れていなくて、それが出来不出来の差をもたらしているのかもしれない。
はしゃいだ砂、とか写真の海が指先をぬらすとか、
手にひんやりと 谷川の水ではなく秋だとか、
かれは、かっこいい詩を書こうとして、構えすぎている感じがするノダ。
歌詞はもっと自然でイイと思うな。
別れ間際に 振り向いた街
あのまなざしは...
振り向いた街って、自分たちがその街のただ中にいるのではないの?それとも、
どこか街を見下ろせるような場所にいたのか?
朝の景色なのか、昼間の喧噪の景色なのか、夜景なのか?
ポンと街だけが出てきてもイメージが湧かないのだけれど、さらに分かりにくいのは「あのまなざし」だね。
二人して振り返ったのなら、彼のまなざしを見ているはずがない。
彼だけが振り返ったのなら、その横顔を見ているのであって、まなざしではない。
そのまなざしの先を見るという表現なら、目に焼き付くというほどのことはない。だろ。
彼と目を合わせればこそ、焼き付いている、と表現できる。だとすれば、
私を見つめた後、目をそらして街を見下ろしたというくらいのイメージがふさわしいのかな?
しかし、普通の人はそこまで読まないぞ。
『三枚の写真』は松本隆らしく物語性が豊かだ、と言っている方がいますけれど、どのような物語なのですかと、私は訊いてみたいね。ネームバリューだけで、知ったようなことを言っているとしか思えん。
ひいき目に読んだとしたとして、
個別的ではないごく一般的な恋とその終わりの、抽象的な物語の「時間の推移」に焦点が当てられた歌だと。
この歌詞は、それ以上のものではないし、それ以下でもない。
この歌詞でしたら、石川ひとみ流さわやかタッチで歌ったのではなおさらイメージが希薄になりますね。
「三枚の写真」がただ単に「長すぎた春の、別れ」の歌であれば、それは自然消滅に近い別れが伴う若すぎる恋。
さしたるクライマックスなどはない平板で凡庸な歌でしかないと言ってよい。
いくら歌が上手くて可愛い石川ひとみちゃんが「あの眼差しは 焼き付いてたのにー」と、盛り上げようとしても、「演歌っぽいなー」という事になってしまうわけです。
ですから、わたし的には「長すぎた春、の別れ」ということは基本に据えつつも...、
ハイライトを当てるべきは「別れの予感を持った女の子が、こころの不安を打ち消したい、彼に思い切って取りすがりたいけど...」といった心情を、
「目をそらさずに 好きって...言える?」という言葉に託したのだ、
...と解釈したい、わけですね。
要は「目をそらさないか、目をそらすか」という一点にしか、この歌詞の重要な意味はないのですから。
他の言葉はレトリック(お飾りの言葉)に過ぎない。
私としては、「目をそらさずに(本気モードで)好き!と言う」のは、一回だけで勘弁して欲しいなと思ったりしちゃうけどね。
あとは普段の態度で分かるはず、というのがごく普通の男の気持ち、、だよね。
付き合いが深まれば、言葉で確認することはもっと細かな、ケースバイケースの具体的な話になるはずです。
「好き」という大枠の中で、こういう事は私はイヤだとか、それはもっとこうして欲しいとか、散文的になってくると思います。
そういう現実的なことを捨象して「目をそらさないか、そらすか」という違いに集約した歌詞ですので、男の観念的な詞だということですね。
好意的に解釈しますと、最初に「別れの歌」という注文があって書いた詞なので、「別れを予感した女性の」その時の心情にスポットを当てた歌詞なのだ、と言い換えてもいい。
この詞は過去の思い出を回想するという歌なのですが、
「ねえ 目をそらさずに 目をそらさずに 好きって言える」
...というリフレインが、現在形のような印象を与えるために、一回で勘弁してというような受け止め方をしてしまうのでしょう。
(私が突っ込みを入れてしまい、フォローが大変だぜ...。)
そう理解して、この詞を読むと、
「ねえ 目をそらさずに 目をそらさずに 好きって言える」というこの歌の「決め台詞」がスポットを当てている「別れを予感した女性の、その時の心情」を表現しているのは、二番の歌詞だと、いうことになる。
『三枚の写真』の決めゼリフが、意味を持っているのは、別れを予感して「目をそらさずに 好きって言える?」という、二番の歌詞だけ。
二番のこの部分こそ、曲をマイナーに転調して、彼女の心のふるえのようなものを表現してみれば、結構繊細でヒリヒリするような、大人になる前の男女の感情を描いて、悪くはないものになったのではないかな。
大野克夫の作曲では、全体がBmベースですので、深い谷がないメロディーの流れになっています。
それで、三番はただ単なるエンディングである、形を整えているに過ぎないとしてかまわない。
歌の詞であるという整合性を保つために一番から三番までリフレインしていますけれど、二番の歌詞以外は、前フリと後処理なのだ、と。
曲を作る人あるいはアレンジャーにそのような感受性のある人がいたら、違ったアレンジになっていたかもしれないな、と思う。
ステージでは一番と三番を歌うことが多いようです。
散文的なコンテキストではエンディングのある三番を歌わなければいけないのですが、二番を歌わないと、歌詞の深い意図(そういうものがあれば。意味ではない)が通じないと思う。
ひとみちゃんは「何度も聴いているうちに、良さが分かってくる歌です」と言っているのですが、
一番キモの二番を飛ばしていると、その意味が聴衆には伝わらないまま、ということになってしまいます。
まあ、レコードを買って、聴いて下さいということになりますけれどね。
石川ひとみちゃん、この「三枚の写真」三番の頭で少し憂い顔をしてみせますが、その後はニコニコ笑顔で歌いきってしまいましたけれど、
ここは、
一番の「目をそらさずにー」と歌う時は、恋する乙女のごとく思い入れを込め、
二番を憂い顔でつらさをこらえる大人の女のごとく、
三番は諦め混じりのアンニュイな表情で...
...って、22才の女の子には無い物ねだりだな。
少なくとも、二番は笑顔ではなく、憂い顔だと、わたしは言いたいナー。
といっても何十年も昔のことですので、言ってもしょうがないですね。
ここは、ただただ石川ひとみちゃんの笑顔を堪能すれば良いのでしょう。
「三枚の写真」から「ひとりじめ」...この頃の石川ひとみちゃん、もう敵なしの可愛さでしたね。
カメラがズームインすると、自然に私の顔も画面に近づいてしまって、はっと我に返り、誰かに見られなかったかと当たりを見回してしまいます。そして、思わず「可愛い、なー」とつぶやいてしまう。
若いファンはもとより、オヤジ殺し、掟破りのかわいさでファン層を一気に拡大できるはず、、だけど。
ひとみちゃんは、ファンだけでなく番組スタッフにも異常なほど人気があったようだね。礼儀正しいし...
カメラマンも「今日は石川ひとみが出演する!」と大盛り上がりだそうで、惚れた女性を映すようにどアップしまくりですね。
ちょっと1カメさん、舐めるように迫りすぎだって!
でも、私たちファンも同じように見ることができるのだから、許す!ナーんて...。
そっちにばっかり気が行ってるから、どんな歌詞なのかはどうでもイイのでしょう。
石川ひとみちゃん、テレビに頻出してこの歌を歌っても、ビデオに残したいとは思うけれど、レコードを買う意欲をかき立てないのではないかな。
しかし、DVD時代の今の時代なら、映像入りなので絶対に買いだな。
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