大輪茂男の功罪
ちよっとおおげさな小見出しになってしまいましたが、別に裁くわけではありません。
判定を下すのはファンでアリ、歴史すから。
大輪茂男さんの談話をご紹介しておきます。
ちよっとおおげさな小見出しになってしまいましたが、別に裁くわけではありません。
判定を下すのはファンでアリ、歴史すから。
大輪茂男さんの談話をご紹介しておきます。
「くるみ割り人形」はタイトルから僕が考えました。
当時は、タイトルから入るっていう方法論をとったんです。
ねらいは、ヨーロッパ志向のものをアイドルで作ろうということ。
ひとみちゃんが舞台のうえでクルクル回ってるイメージもあった。
この曲で大村雅朗君にハープシコードを使ってもらったのもそういう狙いがあってのことです。
オルゴールとか人形のイメージですよ。
サビの部分では人形がクルクル回ってるような音を入れたり」してね。
大村君の弦のアレンジも素晴らしいんですよ。
当時、ひとみちゃんについて僕が考えていたことは、あまり渡辺プロ的な意味での「いい子」っていう方向にはもっていきたくないな、ということだったんですね。
それに、「ふつうのアイドルを超えろ、よ」ってこともあった。
アイドルもリアルな言葉を歌いはじめてた時代に「くるみ割り人形」っていう虚構的なイメージを、あえてもってきたのもそれがあったからなんです。
たとえば、アイドルが暴走族の兄ちゃんに囲まれたとする。
その時に無理矢理連れ去られちゃうようなおとなしいお嬢さんタイフの代表が岡田奈々ちゃんなら、
「乗れよ」って言われて「いいわよ」って後ろに乗って一緒にどっか行っちゃうのが木之内みどりだと。
じゃあ、石川ひとみは? っていうと、そういうレベルを超えた、もっと上のところにいる"本当の"アイドルなんだっていう風にしたかったんですよ。
暴走族も手が出せない。「虚構の世界にいる御人形なんだもん」っていう。
アルバム「くるみ割り人形」のジャケットでひとみちゃんがバレリーナの格好してるのも、舞台の上にいる子なんだよ、っていう意昧だったんですよ。
そんな「くるみ割り人形」だけど、出す時は渡辺プロが大反対したんです。
「売れない」って言ってね。
でも、本人は気に入ってくれてたし、当時のNAVレーベルのプロデューサーが「絶対亮れますから」って渡辺社長を説得してくれてリリースできたんですよ。
最終的に10万枚以上売れた。「やった!」って気分でしたね。
結果が出て、ようやく渡辺ブ口も納得してくれたし。
アイドルっていうのは、最初の3枚でヒットが出ないととても可哀想な思いをするから、ここで売れて本当によかったと思う。」
ナベプロ的「いい子」というのは、キャンディーズであり、太田裕美や天知真理であり、小柳ルミ子でしょうね。でも、この中で本当に「いい子」なのは、****の二人だけかな...
石川ひとみは「頑固ないい子」ですから、曲げようとしても容易には曲がらない質(たち)ですね。
一五一会版「くるみ割り人形」を聴いても、少しも違和感がないというのが、その証明です。
数日前、松田聖子が深夜のNHKで昔のアイドル曲を次々と歌っていましたが、少し「無理」っていう感じがしました。レッツゴーヤングの画面も混ざっていましたけど、外見ではなく波動がかなり違っている。
まあ、大輪のこのような見立てはイイんじゃない、と思います。
私も何人か生アイドルを見たり、取材で話しをしたりしたことがありますが、かわいいお人形止まりでした。石川ひとみは妖精のようでしたから、インパクトが全然ちがう。
それで大輪は、ひと時代昔の「銀幕の女優」のような虚構イメージで、「くるみ割り人形」をプロデュースしようとした。
それはいいと思うのですが、「夜のヒットスタジオ」などはファンが歌手に親近感を持たせようとして、親・兄弟・学校の恩師やお友達、はたまた子供の頃の写真とかを持ち込んだりして、「となりの**ちゃん」という演出をやっていましたね。それにしても、おばあちゃんまで連れてこなくとも...。
それをやるには、当然ナベプロの責任者の了解を得なければならないでしょう。
渡辺晋は小柳ルミ子を「となりのルミちゃん」というイメージで売ることにこだわり、長い間ミュージカルのような歌って踊れるスタイルを許可しなかった。(松下制作部長が許可を出さなかった)
石川ひとみについても、そのこだわりはあったはず。
明らかに行き違いがありますね。となりのひとみちゃん路線と、くるみ割り人形のプロデュースと。
大輪というひとはおもしろいディレクターだったと思う。
しかし、彼の考える「アイドルの超え方」には疑問を呈したいところがあります。
「アイドルって振幅が大きけれは大きいほど人を惑わすんですよ。
そう言った意味で、僕の中では「くるみ割り人形」からストレートに「ひとりぼっちのサーカス」に繋がってるんです。
「くるみ割り人形」も「サーカス」もメルヘン的なイメージの言葉だし、詞の内容も、前者がこの女の子の昼の顔だとすると、後者は夜の顔って感じなんですよね。
音楽的には、どっちも2ビートのリズムが使われているし。
要は、切ない感じのものを表現させたかったんですよ、ひとみちやんに。狂おしい感じとか。
それが正解だったかはわからないけど、彼女の、見たまんまじゃないものを出していきたかった」
ここにはマーケティングの視点がまったく欠落しています。要は、いいものを作れば売れる、というプロダクトアウト発想。それで、「いいもの」の判断基準が自分の感性だと。
マーケティングのプロセスというのは、
潜在的購買層を見つけ買ってもらう → リピーターになってもらう → カスタマーに → ファンに
というように、ファンを育てていくという目的に向けて、戦略的にプロデュースを進めていくことです。
何よりも重視しなければいけないのは渡辺晋が鉄則としている「大衆のニーズ&ウオンツ」を的確につかむ購買者視点、この場合で言えばファンのMaximum な期待といってよい。それがない。
これは長岡でも同じです。音楽プロデューサーやディレクターは音楽の知識を必要としますので、バンド出身者が多い。ところが、プレーヤーというのは99%がアマチュア感覚で演奏しているようです。
自分たちが創りたい音を作り、自分たちがやりたいスタイルで、自分たちが楽しいと思える演奏をやりたい、と。金にならなくとも構わない。ごく一握りでも、理解してくれる人がいればいい、という感覚ですね。そして、自分たちはアーティストだと。
わたし的には、舞台の後ろで、どんな歌手のどんな歌でも弾きこなすオーケストラの人たちの方がプロフェッショナルなのだと思う。
歌謡曲というのは大衆芸能ですから、ファン目線でものを考えられないプロデューサーやディレクターはプロフェショナルな仕事をしていない、ということになる。
音楽ビジネスのスタッフとしての役割を求められている以上、ファン目線で、ヒットする曲を作っていくという基本を踏まえるということは大前提です。
まあ、一人で両方の資質を持つことは難しいから、チームを組んで仕事をするわけですけれど、ナベプロ側にきちんとマーケティング戦略を理解しているスタッフがいないために、「くるみ割り人形」で6万枚ヒットさせた大輪の、次の曲作りにダメ出しできるものがいなかった、のでしょう。
どちらもカンで仕事をしていますので、相手のカンが当たっているのか、自分のカンが正しいのか、という話にしかならない。
これがアメリカの音楽業界ならば、その判断の根拠となる数値データを示せ、ということになる。
アメリカ人はドラステイックですから、周到にマーケティング・リサーチをして、あらゆる角度から分析を加え、スプリットマーケティング案を3層くらい準備して、一つ一つチェックをしなければプレゼンにもならない。
個人的な思い込みだけでは、検討する以前のレベルということになる。
『くるみ割り人形』から、『ひとりぼっちのサーカス』への、180度転換。
「アイドルって振幅が大きけれは大きいほど人を惑わすんですよ」
...アイドルでなくても、それは当たり前。
重要なのは、ファンがそれをどうとらえ、どう理解し、どう共感して、ついてくるのかこないのか、ということだ。
たとえば沢田健二がそれで成功したからといって、石川ひとみにそのまま当てはめるわけにはいかない。
男のアイドルには女性ファン、女のアイドルには男性ファン。ファンの属性が違う。性格が違うだろう。
人気が確立して固定ファンがいる時期の歌手と、人気が流動的な駆け出しの歌手では、ステージが異なる。分母の大きさが異なるので、イチカバチ的要素の占める割合が全く違ってくるでしょう。
危険な男のイメージをにおわせるプロモーションをしている歌手と、清純アイドルで売り出し中の歌手とでは、期待されているものが違う。
「サーカス」は谷山浩子が歌えばメルヘンだけれども、石川ひとみが歌う「ひとりぼっちのサーカス」はメルヘンにはなりきれていない。(歌詞を変えたことが大きな原因だと思う)
最終的には総合プロデューサーがGo サインを出すわけですけれど。
好きになれない歌でも、えり好みせず一生懸命歌って、オジサンをほろりとさせる石川ひとみは、最初からプロフェッショナルだったと言ってよい。
けれども、どうしても無理がある。
曲げようとしても容易に曲がらず、元に戻ってしまう「頑固な、よい子」のひとみちゃん。
「今夜はどんな ウソをつくのー」...『ひとりぼっちのサーカス』
...高音部で見せる少女のような幼い声質、とても「夜の顔」の声とは言えないな。
後から振り返って、大輪は次のように述懐している。
今振り返って、ひとみちゃんで-番印象に残ってるのは名前かな(笑)。
この"石川ひとみ"っていうシンプルな名前。
この名前がまさに彼女の体も性格も表している気がするんですよ。
穢(けが)れない感じというか、石川ひとみは石川ひとみだ、っていうこの感じは、他のアイドルの名前にはないよね。
そういう意味では、僕らは虚構を作ろうといろいろがんばってたわけだけど、この子の芯はもっと強かったのかもしれない。
デビューした時からずっと変わらない"石川ひとみ"ってものを内面にずっともち続けてるんじゃないかな。
それを象徴してるのが彼女の名前なんだと思いますね。
そうョー。
ひとみちゃんの芯は、なまくら針金のように可塑的ではなく、ピアノ線のように強靱でしなやかなのさ。
「強靱な筋金入りの頑固なよい子」だな。下手なプロデューサーではどうにもならない"こまった子"
↑ ↑ ↑
(だんだん枕詞が増えていく)
石川ひとみは石川ひとみなんだって。無二の存在だと。
音楽には見識をもつ大輪だが、キャリアがあるだけに一ひねりも二ひねりもやってしまうのではないだろうか。彼の頭の中では過去の経験が蓄積されていて、次はああやってみたいとかこうやったら面白いかなとか...。
けれども、デビューする新人はすべてゼロからスタートするわけです。真っ白なキャンバスですね。ですから、新人の原点からスタートして、ファンの反応を確かめながらプロデュースしていくという細かい配慮が必要だと思う。
多少キャリアのある歌手であれば、目先を変えるのもケースバイケースであると思うけれど、新人歌手のデビューからひねりを加えたりするのは問題があるでしょう。
その歌手の将来がかかっているわけですから、プロデューサーの恣意的な実験台にされたのではたまらない。
石川ひとみは歌手としてのポテンシャルは非凡なものをもってはいたけれども、不器用な性格だったわけで、大輪の目論見とある程度オーバーラップできたのは『くるみ割り人形』だけだった。
その辺を、見誤ったように思うヨ。
当時は、タイトルから入るっていう方法論をとったんです。
ねらいは、ヨーロッパ志向のものをアイドルで作ろうということ。
ひとみちゃんが舞台のうえでクルクル回ってるイメージもあった。
この曲で大村雅朗君にハープシコードを使ってもらったのもそういう狙いがあってのことです。
オルゴールとか人形のイメージですよ。
サビの部分では人形がクルクル回ってるような音を入れたり」してね。
大村君の弦のアレンジも素晴らしいんですよ。
当時、ひとみちゃんについて僕が考えていたことは、あまり渡辺プロ的な意味での「いい子」っていう方向にはもっていきたくないな、ということだったんですね。
それに、「ふつうのアイドルを超えろ、よ」ってこともあった。
アイドルもリアルな言葉を歌いはじめてた時代に「くるみ割り人形」っていう虚構的なイメージを、あえてもってきたのもそれがあったからなんです。
たとえば、アイドルが暴走族の兄ちゃんに囲まれたとする。
その時に無理矢理連れ去られちゃうようなおとなしいお嬢さんタイフの代表が岡田奈々ちゃんなら、
「乗れよ」って言われて「いいわよ」って後ろに乗って一緒にどっか行っちゃうのが木之内みどりだと。
じゃあ、石川ひとみは? っていうと、そういうレベルを超えた、もっと上のところにいる"本当の"アイドルなんだっていう風にしたかったんですよ。
暴走族も手が出せない。「虚構の世界にいる御人形なんだもん」っていう。
アルバム「くるみ割り人形」のジャケットでひとみちゃんがバレリーナの格好してるのも、舞台の上にいる子なんだよ、っていう意昧だったんですよ。そんな「くるみ割り人形」だけど、出す時は渡辺プロが大反対したんです。
「売れない」って言ってね。
でも、本人は気に入ってくれてたし、当時のNAVレーベルのプロデューサーが「絶対亮れますから」って渡辺社長を説得してくれてリリースできたんですよ。
最終的に10万枚以上売れた。「やった!」って気分でしたね。
結果が出て、ようやく渡辺ブ口も納得してくれたし。
アイドルっていうのは、最初の3枚でヒットが出ないととても可哀想な思いをするから、ここで売れて本当によかったと思う。」
ナベプロ的「いい子」というのは、キャンディーズであり、太田裕美や天知真理であり、小柳ルミ子でしょうね。でも、この中で本当に「いい子」なのは、****の二人だけかな...
石川ひとみは「頑固ないい子」ですから、曲げようとしても容易には曲がらない質(たち)ですね。
一五一会版「くるみ割り人形」を聴いても、少しも違和感がないというのが、その証明です。
数日前、松田聖子が深夜のNHKで昔のアイドル曲を次々と歌っていましたが、少し「無理」っていう感じがしました。レッツゴーヤングの画面も混ざっていましたけど、外見ではなく波動がかなり違っている。
まあ、大輪のこのような見立てはイイんじゃない、と思います。
私も何人か生アイドルを見たり、取材で話しをしたりしたことがありますが、かわいいお人形止まりでした。石川ひとみは妖精のようでしたから、インパクトが全然ちがう。
それで大輪は、ひと時代昔の「銀幕の女優」のような虚構イメージで、「くるみ割り人形」をプロデュースしようとした。
それはいいと思うのですが、「夜のヒットスタジオ」などはファンが歌手に親近感を持たせようとして、親・兄弟・学校の恩師やお友達、はたまた子供の頃の写真とかを持ち込んだりして、「となりの**ちゃん」という演出をやっていましたね。それにしても、おばあちゃんまで連れてこなくとも...。
それをやるには、当然ナベプロの責任者の了解を得なければならないでしょう。
渡辺晋は小柳ルミ子を「となりのルミちゃん」というイメージで売ることにこだわり、長い間ミュージカルのような歌って踊れるスタイルを許可しなかった。(松下制作部長が許可を出さなかった)
石川ひとみについても、そのこだわりはあったはず。
明らかに行き違いがありますね。となりのひとみちゃん路線と、くるみ割り人形のプロデュースと。
大輪というひとはおもしろいディレクターだったと思う。
しかし、彼の考える「アイドルの超え方」には疑問を呈したいところがあります。
「アイドルって振幅が大きけれは大きいほど人を惑わすんですよ。
そう言った意味で、僕の中では「くるみ割り人形」からストレートに「ひとりぼっちのサーカス」に繋がってるんです。
「くるみ割り人形」も「サーカス」もメルヘン的なイメージの言葉だし、詞の内容も、前者がこの女の子の昼の顔だとすると、後者は夜の顔って感じなんですよね。
音楽的には、どっちも2ビートのリズムが使われているし。
要は、切ない感じのものを表現させたかったんですよ、ひとみちやんに。狂おしい感じとか。
それが正解だったかはわからないけど、彼女の、見たまんまじゃないものを出していきたかった」
ここにはマーケティングの視点がまったく欠落しています。要は、いいものを作れば売れる、というプロダクトアウト発想。それで、「いいもの」の判断基準が自分の感性だと。
マーケティングのプロセスというのは、
潜在的購買層を見つけ買ってもらう → リピーターになってもらう → カスタマーに → ファンに
というように、ファンを育てていくという目的に向けて、戦略的にプロデュースを進めていくことです。
何よりも重視しなければいけないのは渡辺晋が鉄則としている「大衆のニーズ&ウオンツ」を的確につかむ購買者視点、この場合で言えばファンのMaximum な期待といってよい。それがない。
これは長岡でも同じです。音楽プロデューサーやディレクターは音楽の知識を必要としますので、バンド出身者が多い。ところが、プレーヤーというのは99%がアマチュア感覚で演奏しているようです。
自分たちが創りたい音を作り、自分たちがやりたいスタイルで、自分たちが楽しいと思える演奏をやりたい、と。金にならなくとも構わない。ごく一握りでも、理解してくれる人がいればいい、という感覚ですね。そして、自分たちはアーティストだと。
わたし的には、舞台の後ろで、どんな歌手のどんな歌でも弾きこなすオーケストラの人たちの方がプロフェッショナルなのだと思う。
歌謡曲というのは大衆芸能ですから、ファン目線でものを考えられないプロデューサーやディレクターはプロフェショナルな仕事をしていない、ということになる。
音楽ビジネスのスタッフとしての役割を求められている以上、ファン目線で、ヒットする曲を作っていくという基本を踏まえるということは大前提です。
まあ、一人で両方の資質を持つことは難しいから、チームを組んで仕事をするわけですけれど、ナベプロ側にきちんとマーケティング戦略を理解しているスタッフがいないために、「くるみ割り人形」で6万枚ヒットさせた大輪の、次の曲作りにダメ出しできるものがいなかった、のでしょう。
どちらもカンで仕事をしていますので、相手のカンが当たっているのか、自分のカンが正しいのか、という話にしかならない。
これがアメリカの音楽業界ならば、その判断の根拠となる数値データを示せ、ということになる。
アメリカ人はドラステイックですから、周到にマーケティング・リサーチをして、あらゆる角度から分析を加え、スプリットマーケティング案を3層くらい準備して、一つ一つチェックをしなければプレゼンにもならない。
個人的な思い込みだけでは、検討する以前のレベルということになる。
『くるみ割り人形』から、『ひとりぼっちのサーカス』への、180度転換。
「アイドルって振幅が大きけれは大きいほど人を惑わすんですよ」
...アイドルでなくても、それは当たり前。
重要なのは、ファンがそれをどうとらえ、どう理解し、どう共感して、ついてくるのかこないのか、ということだ。
たとえば沢田健二がそれで成功したからといって、石川ひとみにそのまま当てはめるわけにはいかない。
男のアイドルには女性ファン、女のアイドルには男性ファン。ファンの属性が違う。性格が違うだろう。
人気が確立して固定ファンがいる時期の歌手と、人気が流動的な駆け出しの歌手では、ステージが異なる。分母の大きさが異なるので、イチカバチ的要素の占める割合が全く違ってくるでしょう。
危険な男のイメージをにおわせるプロモーションをしている歌手と、清純アイドルで売り出し中の歌手とでは、期待されているものが違う。
「サーカス」は谷山浩子が歌えばメルヘンだけれども、石川ひとみが歌う「ひとりぼっちのサーカス」はメルヘンにはなりきれていない。(歌詞を変えたことが大きな原因だと思う)
最終的には総合プロデューサーがGo サインを出すわけですけれど。
好きになれない歌でも、えり好みせず一生懸命歌って、オジサンをほろりとさせる石川ひとみは、最初からプロフェッショナルだったと言ってよい。
けれども、どうしても無理がある。
曲げようとしても容易に曲がらず、元に戻ってしまう「頑固な、よい子」のひとみちゃん。
「今夜はどんな ウソをつくのー」...『ひとりぼっちのサーカス』
...高音部で見せる少女のような幼い声質、とても「夜の顔」の声とは言えないな。
後から振り返って、大輪は次のように述懐している。
今振り返って、ひとみちゃんで-番印象に残ってるのは名前かな(笑)。
この"石川ひとみ"っていうシンプルな名前。
この名前がまさに彼女の体も性格も表している気がするんですよ。
穢(けが)れない感じというか、石川ひとみは石川ひとみだ、っていうこの感じは、他のアイドルの名前にはないよね。
そういう意味では、僕らは虚構を作ろうといろいろがんばってたわけだけど、この子の芯はもっと強かったのかもしれない。
デビューした時からずっと変わらない"石川ひとみ"ってものを内面にずっともち続けてるんじゃないかな。
それを象徴してるのが彼女の名前なんだと思いますね。
そうョー。
ひとみちゃんの芯は、なまくら針金のように可塑的ではなく、ピアノ線のように強靱でしなやかなのさ。
「強靱な筋金入りの頑固なよい子」だな。下手なプロデューサーではどうにもならない"こまった子"
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(だんだん枕詞が増えていく)
石川ひとみは石川ひとみなんだって。無二の存在だと。
音楽には見識をもつ大輪だが、キャリアがあるだけに一ひねりも二ひねりもやってしまうのではないだろうか。彼の頭の中では過去の経験が蓄積されていて、次はああやってみたいとかこうやったら面白いかなとか...。
けれども、デビューする新人はすべてゼロからスタートするわけです。真っ白なキャンバスですね。ですから、新人の原点からスタートして、ファンの反応を確かめながらプロデュースしていくという細かい配慮が必要だと思う。
多少キャリアのある歌手であれば、目先を変えるのもケースバイケースであると思うけれど、新人歌手のデビューからひねりを加えたりするのは問題があるでしょう。
その歌手の将来がかかっているわけですから、プロデューサーの恣意的な実験台にされたのではたまらない。
石川ひとみは歌手としてのポテンシャルは非凡なものをもってはいたけれども、不器用な性格だったわけで、大輪の目論見とある程度オーバーラップできたのは『くるみ割り人形』だけだった。
その辺を、見誤ったように思うヨ。
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