一曲の歌に彩りをなすのは、歌手・作詞家・作曲家・編曲家などの表現者にとどまるものではなく、演出に関わるディレクター・衣装デザイン関係者・振り付け師からヘアデザインやメイクアップアーティストなど多岐にのぼります。
そして、その編成を下支えしているバックグラウンドはプロダクションのチームということですが、渡辺プロダクションの例ですと、次のようなチームになっているかと思います。これは、実際の組織図ではなく、曲作りに関わるスタッフの編成概念図と考えてください。

これは石川ひとみデビュー時期のスタッフ編成ですね。グリーンの領域が石川ひとみ班となります。
新人歌手のデビューは、総合プロデューサーである渡辺晋が仕切ります。
歌手のイメージを作って、誰に作詞・作曲をしてもらうかというようなことはもちろん、衣装からヘアメイクまで総合的にプロデユースする。
その後の具体的な部分はディレクターや担当マネージャーに任せるけれども、最終的なダメ出しは必ず渡辺プロダクション社長の渡辺晋が行ったそうです。
渡辺晋は音楽プロデュースについて 「大衆のニーズに合わせた歌を作る」という鉄則を堅持した人です。
それはすなわち「歌手はよきエンターテイナーたれ」ということであり、それはアメリカの音楽界に詳しかった彼のプロフェッショナルな姿勢そのものだと言ってよい。
うさんくさいと思われ社会的地位が一段下と見なされていた当時の芸能プロダクションを、一般の企業と同じビジネス組織に格上げしたのは他ならぬ渡辺晋の功績です。
そういうビジネスマインドを持っており、かつミュージシャンとしての経歴を持つ人間ですから、アメリカ流のマーケティングを理解していたはずです。アメリカのショービジネスは徹底的なエンターテインメントですけれど、その前提にあるのが100年も前から進化し続けているマーケティング戦略です。
「大衆のニーズに合わせた歌を作る」という彼の鉄則は、購買層のニーズ&ウオンツに応える、というマーケティングの基本ですから。
ところが、今でこそマーケティングというものの重要性が認識されてきましたが、当時の芸能界ではそのような発想そのものが希薄だったと思う。
さて、石川ひとみのデビュー曲『右向け右』は、とうぜん渡辺晋が陣頭指揮をした作品だったはず。
このときの渡辺音楽出版のディレクターが誰だったのかは定かでないのですが、キャンディーズを一から育て上げ、その彼女たちが去っていった後の松崎澄夫かな?
(正確ではないので、カッコでくくっておきます。)
初代プロデューサーの大輪が実質的に係わったのは、『くるみ割り人形』からだったと述べ、デビュー曲は渡辺音楽出版色が色濃く残っていると記しています。
宮川泰の歌謡ポップス路線だとして、「変なタイトルだったね」と他人事のような発言をしているので、ほとんど係わっていなかったということですね。
渡辺音楽出版の松崎澄夫は、キャンディーズをプロデュースする過程で、スーをメインにしたマイナー調の歌から、ランを中心に据えた明るい歌に切り替えて成功した成功体験を持っていた。
新進プロデューサーューサーだった彼は、この成功で認められたわけですが、伊藤蘭のお姉様キャラが若い男の子たちの心をつかんだ、と分析しています。
ですから、石川ひとみ「右向け右」のキャラクター設定は、それほどの年増ではなくお姉様路線なのだろう、と年齢を下方修正しておきましょう。
「強がったり、多少突っ張ったりして素直でないところも見え隠れして、けれどもそのことを後悔する女の子」というのが、石川ひとみの歌の基本的なカラーとして設定されているかと思います。
さて、本題ですが、どこのプロダクションでも大同小異でしょうけれども、渡辺プロでも新曲を出す場合は、制作会議というものが開かれます。
この会議には、上の図にある関係者は全員、そして歌手と担当マネージャーもこれに加わります。
会議は基本的には、
・担当プロデューサーが「こういうものを作ろうと思う」というプレゼンテーションをして、
・それをたたき台にして、意見交換や質疑を行い、
・総合プロデューサーたる渡辺晋が総括して、
→最終的なGo サインが出るまで、会議は繰り返され、
→最終構想が決定して、実務レベルの作業に入る、
...という手順になるでしょう。
それで、石川ひとみという人は白地のキャンバスのような新人歌手でした、長岡和弘がこんなことを「ぼくらのCD-BOX1」のブックレットに書いていました。
僕がはじめて彼女に会った時にね、
「今度担当になりました。一緒にイイ曲を作っていきましょう」
って挨拶したら、彼女は
「私はみなさんがはい次はこの歌です、って決めてくれたものを一生懸命歌いますから」
って言うんですよ。
「好き嫌いはないのっ?」って闘いても
「ありません」
って(笑)。
信じられなかった。
僕もアーティストとして音楽やっていましたから、「そんなやり方じゃ、本人は心から楽しめないんじゃないか」と思ったんですよ。
もっと自己主張というか、彼女自身スタッフのひとりとして「私はこの曲をシングルにしたい」って主張してほしいと思ったんです。
そうですか。石川ひとみは最初から伝説の人だったのですね。
渡辺晋が提示したビジュアル・イメージは清楚な女子校の学生という感じですから、ピッタリですけれど、松崎がお姉様色を付与したのでしょうか。

これは石川ひとみデビュー時期のスタッフ編成ですね。グリーンの領域が石川ひとみ班となります。
新人歌手のデビューは、総合プロデューサーである渡辺晋が仕切ります。
歌手のイメージを作って、誰に作詞・作曲をしてもらうかというようなことはもちろん、衣装からヘアメイクまで総合的にプロデユースする。
その後の具体的な部分はディレクターや担当マネージャーに任せるけれども、最終的なダメ出しは必ず渡辺プロダクション社長の渡辺晋が行ったそうです。
渡辺晋は音楽プロデュースについて 「大衆のニーズに合わせた歌を作る」という鉄則を堅持した人です。
それはすなわち「歌手はよきエンターテイナーたれ」ということであり、それはアメリカの音楽界に詳しかった彼のプロフェッショナルな姿勢そのものだと言ってよい。
うさんくさいと思われ社会的地位が一段下と見なされていた当時の芸能プロダクションを、一般の企業と同じビジネス組織に格上げしたのは他ならぬ渡辺晋の功績です。
そういうビジネスマインドを持っており、かつミュージシャンとしての経歴を持つ人間ですから、アメリカ流のマーケティングを理解していたはずです。アメリカのショービジネスは徹底的なエンターテインメントですけれど、その前提にあるのが100年も前から進化し続けているマーケティング戦略です。
「大衆のニーズに合わせた歌を作る」という彼の鉄則は、購買層のニーズ&ウオンツに応える、というマーケティングの基本ですから。
ところが、今でこそマーケティングというものの重要性が認識されてきましたが、当時の芸能界ではそのような発想そのものが希薄だったと思う。
さて、石川ひとみのデビュー曲『右向け右』は、とうぜん渡辺晋が陣頭指揮をした作品だったはず。
このときの渡辺音楽出版のディレクターが誰だったのかは定かでないのですが、キャンディーズを一から育て上げ、その彼女たちが去っていった後の松崎澄夫かな?
(正確ではないので、カッコでくくっておきます。)
初代プロデューサーの大輪が実質的に係わったのは、『くるみ割り人形』からだったと述べ、デビュー曲は渡辺音楽出版色が色濃く残っていると記しています。
宮川泰の歌謡ポップス路線だとして、「変なタイトルだったね」と他人事のような発言をしているので、ほとんど係わっていなかったということですね。
渡辺音楽出版の松崎澄夫は、キャンディーズをプロデュースする過程で、スーをメインにしたマイナー調の歌から、ランを中心に据えた明るい歌に切り替えて成功した成功体験を持っていた。
新進プロデューサーューサーだった彼は、この成功で認められたわけですが、伊藤蘭のお姉様キャラが若い男の子たちの心をつかんだ、と分析しています。
ですから、石川ひとみ「右向け右」のキャラクター設定は、それほどの年増ではなくお姉様路線なのだろう、と年齢を下方修正しておきましょう。
「強がったり、多少突っ張ったりして素直でないところも見え隠れして、けれどもそのことを後悔する女の子」というのが、石川ひとみの歌の基本的なカラーとして設定されているかと思います。
さて、本題ですが、どこのプロダクションでも大同小異でしょうけれども、渡辺プロでも新曲を出す場合は、制作会議というものが開かれます。
この会議には、上の図にある関係者は全員、そして歌手と担当マネージャーもこれに加わります。
会議は基本的には、
・担当プロデューサーが「こういうものを作ろうと思う」というプレゼンテーションをして、
・それをたたき台にして、意見交換や質疑を行い、
・総合プロデューサーたる渡辺晋が総括して、
→最終的なGo サインが出るまで、会議は繰り返され、
→最終構想が決定して、実務レベルの作業に入る、
...という手順になるでしょう。
それで、石川ひとみという人は白地のキャンバスのような新人歌手でした、長岡和弘がこんなことを「ぼくらのCD-BOX1」のブックレットに書いていました。
僕がはじめて彼女に会った時にね、
「今度担当になりました。一緒にイイ曲を作っていきましょう」
って挨拶したら、彼女は
「私はみなさんがはい次はこの歌です、って決めてくれたものを一生懸命歌いますから」
って言うんですよ。
「好き嫌いはないのっ?」って闘いても
「ありません」
って(笑)。
信じられなかった。
僕もアーティストとして音楽やっていましたから、「そんなやり方じゃ、本人は心から楽しめないんじゃないか」と思ったんですよ。
もっと自己主張というか、彼女自身スタッフのひとりとして「私はこの曲をシングルにしたい」って主張してほしいと思ったんです。
そうですか。石川ひとみは最初から伝説の人だったのですね。
渡辺晋が提示したビジュアル・イメージは清楚な女子校の学生という感じですから、ピッタリですけれど、松崎がお姉様色を付与したのでしょうか。
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