「海のようなやさしさで」のサブタイトルをつけようとしてすぐに連想したのが「三枚の写真」でした。
あの歌詞の本当の意味は2番目にある、と書きました。
すなわち、二枚目の写真。
あの歌詞の本当の意味は2番目にある、と書きました。
すなわち、二枚目の写真。
これを私は「何故か哀しくなる不安感」と形容しましたが、その「何故か」の部分を、女性感覚の作詞家である武衛さんが図らずもこの「海のようなやさしさで」に描いているわけだな、ということです。
夢みる時は いつもつかの間
それを人は 愛と人は
名付けたのでしょうか
今 愛が引き潮
昔から経験的に語り伝えられている「三日、三月、三年」というのは、恋の賞味期限というものです。
(1) 恋人同士が逢っていて、何か夢のような時間が流れていくタイムリミットは三日間。
(2) 熱く燃えている状態のタイムリミットは三ヶ月、
(3) 恋人同士の濃密な時間を保ち続けるのは三年
これはDNA的にプログラミングされているようだ、という最近の研究も発表されていますね。
それはさておいて、
「夢みる時は いつもつかの間」...この「夢みる時」というのは、
(1) のことではなく(2) の状態を言っていると考えて良い。
(1) の場合は、帰宅したり仕事に出かけたりして、自然にリセットされるわけですが、どうもリセットの回数あるいは、トータル時間にリミットがありそうです。
女性感覚では、(2) の場合でも「夢みる時」という感じなのでしょう。
男ですと、
一緒に喫茶店でコーヒーを飲みながら、いきなりマンガを読み出したり、
大リーグ中継などやっていると、彼女の顔ではなくその背後の画面に焦点が合っていてたり、
あるいは他人からの携帯メールを読みふけっていたり、
...行き着く先は、別れだと。
情動で行動している女性はいつも夢みていたいのに、
男性は引き潮のように冷めていく。
それは経験的に分かってくるのですが、
分かっていてもあるいは分かっていなくとも、
それが哀しい。
ですから、幸せを感じれば感じるほど、
「哀しくなる予感」も強くなってくる。
それを武衛さんは「心の波立ち」と表現した。
女性感覚の伝道師たる武衛さんが捉えたかったのは、まさにこの感情なのですね。
別れてしまった後の追想、などというものに、女性は男ほどには拘泥しない。
別れた後の気持ちは、収まるところに収まるけれど、
何度恋愛を経験しても「幸せとhand in hand で味わうことになるこの何故か哀しくなる不安感は、
決して慣れてしまうことなどできないわ、
...ということなのだと思う。
男にはなかなか理解しがたい女性感覚ですね。
松本隆の「三枚の写真」で、私は、
「彼女の心のふるえのようなものを表現してみれば、結構繊細でヒリヒリするような、
大人になる前の男女の感情を描いて、悪くはないものになったのではないかな」
...と書いたのは、このような意味ですね。
あの歌では、曲も歌も三枚目の写真に重きを置いているけれども、
女性の心情から言えば二枚目の写真こそ意味があるわ、
...ということですね。
わたしにいわせれば、同じテーマのことを
武衛尚子は青文字系の言葉で綴った、
松本隆は赤文字系の言葉で綴った
...ということになる。
男性作詞家と女性作詞家との間に横たわっている言葉の不毛地帯がここにもあるわけです。
アイドル歌をプロデュースするだけなら、それでも構わないのですけれど、石川ひとみが歌いたがっている「大人の女の歌」をリリースするためには、この「言葉の不毛地帯」を開墾するような歌詞を提供しなければいけなかったのではないかな。
といっても分かりにくい、かな。
男性にも女性にも通底する心を表現できるのは、天野滋が一番近いかもしれないね。
書いてくれた人の中では。
他の陣営にはそういう作詞家がいて、ヒット曲を出している、ということだけどね。
夢みる時は いつもつかの間
それを人は 愛と人は
名付けたのでしょうか
今 愛が引き潮
昔から経験的に語り伝えられている「三日、三月、三年」というのは、恋の賞味期限というものです。
(1) 恋人同士が逢っていて、何か夢のような時間が流れていくタイムリミットは三日間。
(2) 熱く燃えている状態のタイムリミットは三ヶ月、
(3) 恋人同士の濃密な時間を保ち続けるのは三年
これはDNA的にプログラミングされているようだ、という最近の研究も発表されていますね。
それはさておいて、
「夢みる時は いつもつかの間」...この「夢みる時」というのは、
(1) のことではなく(2) の状態を言っていると考えて良い。
(1) の場合は、帰宅したり仕事に出かけたりして、自然にリセットされるわけですが、どうもリセットの回数あるいは、トータル時間にリミットがありそうです。
女性感覚では、(2) の場合でも「夢みる時」という感じなのでしょう。
男ですと、
一緒に喫茶店でコーヒーを飲みながら、いきなりマンガを読み出したり、
大リーグ中継などやっていると、彼女の顔ではなくその背後の画面に焦点が合っていてたり、
あるいは他人からの携帯メールを読みふけっていたり、
...行き着く先は、別れだと。
情動で行動している女性はいつも夢みていたいのに、
男性は引き潮のように冷めていく。
それは経験的に分かってくるのですが、
分かっていてもあるいは分かっていなくとも、
それが哀しい。
ですから、幸せを感じれば感じるほど、
「哀しくなる予感」も強くなってくる。
それを武衛さんは「心の波立ち」と表現した。
女性感覚の伝道師たる武衛さんが捉えたかったのは、まさにこの感情なのですね。
別れてしまった後の追想、などというものに、女性は男ほどには拘泥しない。
別れた後の気持ちは、収まるところに収まるけれど、
何度恋愛を経験しても「幸せとhand in hand で味わうことになるこの何故か哀しくなる不安感は、
決して慣れてしまうことなどできないわ、
...ということなのだと思う。
男にはなかなか理解しがたい女性感覚ですね。
松本隆の「三枚の写真」で、私は、
「彼女の心のふるえのようなものを表現してみれば、結構繊細でヒリヒリするような、
大人になる前の男女の感情を描いて、悪くはないものになったのではないかな」
...と書いたのは、このような意味ですね。
あの歌では、曲も歌も三枚目の写真に重きを置いているけれども、
女性の心情から言えば二枚目の写真こそ意味があるわ、
...ということですね。
わたしにいわせれば、同じテーマのことを
武衛尚子は青文字系の言葉で綴った、
松本隆は赤文字系の言葉で綴った
...ということになる。
男性作詞家と女性作詞家との間に横たわっている言葉の不毛地帯がここにもあるわけです。
アイドル歌をプロデュースするだけなら、それでも構わないのですけれど、石川ひとみが歌いたがっている「大人の女の歌」をリリースするためには、この「言葉の不毛地帯」を開墾するような歌詞を提供しなければいけなかったのではないかな。
といっても分かりにくい、かな。
男性にも女性にも通底する心を表現できるのは、天野滋が一番近いかもしれないね。
書いてくれた人の中では。
他の陣営にはそういう作詞家がいて、ヒット曲を出している、ということだけどね。
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